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取材・文/柿川鮎子 写真/木村圭司

西郷隆盛の本当の愛犬は薩摩犬ではなく洋犬だった!【西郷隆盛よもやま話3】」では
上野恩賜公園の西郷隆盛の銅像のかたわらに付き添う犬が紹介されています。西郷の愛犬「ツン」は、もとは徳川将軍家にいた「お虎」という名の洋犬であり、銅像制作にあたり、急遽、薩摩犬に代えられたというエピソードです。

薩摩犬は現在、残念ながら絶滅していますが、この胸像が作られた頃はまだ純血種が生存していました。西郷どんの銅像に寄り添う薩摩犬は薩摩藩士の子弟、海軍中将となった薩摩出身の軍人、仁礼景範(にれ かげのり)が飼育していたサワという犬がモデルとなりました。

サワは仁礼景範の娘の春子がたいへん可愛がっていた犬でした。サワは立派に西郷像のモデルの役割を果たし、春子の元へ返されました。春子は成長し、後に総理大臣となる斎藤實に嫁ぎます。斎藤家には新聞記者がインタビューに訪れますが、春子は夫の元へ集まる新聞記者や若い学生などに、「西郷さんの犬のモデルは私が飼っていたサワなのよ」と嬉しそうに語ったそうです。春子にとってサワは生涯、忘れられない愛犬であり、モデルを務めた可愛い自慢の犬でした。

仁礼景範(1831〜1900年)の妹・園は西郷隆盛の弟・西郷吉三郎に嫁いでいる。娘春子は98歳で逝去した。

西郷隆盛自身もたいへんな愛犬家として知られています。お虎の他にもたくさんの犬を飼育しており、多い時は20頭近くも飼っていました。当時の日本では、犬は狩猟のために利用する使役犬で、愛玩目的で飼育する人は少なかったのですが、西郷隆盛には犬をペットとして愛玩していたエピソードがたくさん残されています。特に鰻屋でこっそり犬に鰻を与えた話は有名です。

【西郷隆盛の名言】「晋どん、もうここらでよかろう」」では、高島鞆之助と大久保利通の屋敷を訪ねた時に、茶菓子に出ていたカステラを取りに戻った楽しいエピソードが紹介されていました。甘党で美味しいものが大好きだった西郷は肥満になり、医者から運動療法の散歩をすすめられます。その散歩に、西郷は犬を連れて歩きました。「犬がたくさん歩いているから、あれは西郷さんだ」とすれ違った人は気が付きました。

西郷隆盛が犬との散歩を欠かさなかった理由については、【西郷隆盛よもやま話1】でも詳しく紹介されています。当時の日本で犬を連れて歩くのは狩りに行くときのみであり、犬連れの散歩はたいへん珍しかった。今でこそ、犬の散歩は犬の健康維持のために欠かせないもので、飼い主の義務でもありますが、当時は犬の正しい飼育習慣がまだ確立されていなかった時代です。西郷隆盛は「犬の散歩」という正しい飼育管理方法を日本で広めた、最初の人物と言えるでしょう。

絶滅した薩摩犬は立ち耳で差し尾、子犬は茶色く、成長するにしたがって黒胡麻になった

西南戦争が勃発した時も、西郷は戦地に愛犬を連れて行きました。新政府軍に追い詰められる中、食糧事情はどんどん厳しくなっていきますが、自分の食べ物を分け与えながら、数頭の犬を身近に置いていました。「【西郷隆盛の最後の戦いは372人vs.5万人という悲愴すぎる戦いだった】」では厳しい戦いぶりが紹介されています。そして、軍の解散を決意した時、西郷は犬を戦場から逃がします。せめて犬だけでも生き延びてほしい。犬を解き放った西郷は、真の愛犬家でした。

ヒトラーは「動物の愛人」と呼んだシェパード犬ブロンディを、ベルリンの地下壕で殺します。西郷隆盛は愛犬を戦場から逃がしました。どちらの犬も、主人をひたむきに信じ、心から愛していたことは間違いありません。西郷が愛した犬達の行方はよくわかっていません。上野の銅像の犬・ツンを見た時、戦場で解き放たれた数頭の犬のこともぜひ、思い出してみてはいかがでしょうか。

文/柿川鮎子
明治大学政経学部卒、新聞社を経てフリー。東京都動物愛護推進委員、東京都動物園ボランティア、愛玩動物飼養管理士1級。著書に『動物病院119番』(文春新書)、『犬の名医さん100人』(小学館ムック)、『極楽お不妊物語』(河出書房新社)ほか。

写真/木村圭司

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