刃傷事件を起こした佐野政言(演・矢本悠馬)。(C)NHK

ライターI(以下I):『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』(以下『べらぼう』)は、佐野政言(演・矢本悠馬)が若年寄田沼意知(演・宮沢氷魚)に対して、江戸城内にて斬りかかる場面で終わりました。しかもなんの因果か、翌週が参院選の投開票日にあたり、1回休止ということになりました。

編集者A(以下A):城内で斬りかかる場面で終わって1週お預けというのは「そんな殺生な」と思っている熱心な視聴者は多いでしょう。ということで、今週は、江戸城の刃傷沙汰についておさらいしたいと思います。

■寛永5年(1628)8月10日 豊島信満×井上正就

I:大名がかかわった最初の「江戸城刃傷」事件は3代将軍家光の時代の寛永5年(1628)になります。事件を起こしたのは、幕府目付の豊島信満。東京屈指の繁華街池袋を擁する豊島区にその名を刻んでいる名門です。戦国時代に太田道灌に敗北し、一族の信満は、この頃は1700石の旗本でした。

A:対して刃傷を受けた老中井上正就は、横須賀藩主。母が徳川秀忠の乳母だった縁で、秀忠の側に仕え、大坂夏の陣にも出陣した「古老」でした。2000年の大河ドラマ『葵 徳川三代』では天宮良さんが演じていますから、「ああ」と思い出す人も多いかと思います。ここでは、豊島信満と紹介していますが、『営中刃傷記』では「信庸」とあり、「明重」とする史料もあるようです。

I:ことは、豊島信満が仲介して、井上正就の嫡男井上正利と大坂町奉行の島田信時の娘の縁組がまとまった時に始まります。老中家の縁談にかかわるということで豊島信満にとっては誉れだったでしょう。ところが、この縁談、有名な春日局(将軍家光の乳母)が別の縁談を井上家に持っていき、井上家は春日局の威光を恐れ、豊島信満仲介の縁談を破談にしてしまいます。

A:大坂の陣から10数年しか経過していない戦国の遺風が色濃く残る時代、武士にとって「面子」は命にかえても死守しなければならないもの。面子を潰され、恨みに思った豊島信満が老中の井上正就を殺害したという流れになります。殿中での刃傷となると、加害者を止めようとその場にいた人間が背後から押さえつけるのが定番になりますが、この際に豊島信満を後ろから押さえたのが「小十人組」の番士青木義精。このとき、豊島信満は、切腹して果てますが、刀身は、信満を後ろから抱え込んでいた青木義精にまで達して、青木までもが亡くなるという事態になったそうです。

I:ほんとうにそんな串刺しのようなことが起きるのでしょうか? 俄には信じがたい状況ですが、青木義精が現場で亡くなったのは事実のようですね。

A:このときの仕置で特筆すべきは、信満嫡子の吉継まで切腹を命ぜられたことです。さらに、大坂町奉行の島田信時が自発的に切腹するという、戦国の気風満々の空気が漂う刃傷事件になりました。

春日局の「縁者同士」による刃傷事件に黒幕は?

■貞享元年(1684)8月28日 稲葉正休×堀田正俊

I:貞享元年(1684)8月28日、若年寄が大老を刺殺するという幕閣間の刃傷事件が発生しました。稲葉正休は、3代将軍家光の乳母春日局の夫稲葉正成が前妻との間にもうけた稲葉正吉の子。刃傷当時は、美濃青野藩主で幕閣の若年寄を務めていました。このとき23歳です。対する大老堀田正俊は、春日局の義理のひ孫で、40代の働き盛り。大老として権勢を握り、その頑固で強情な性格が将軍綱吉からも煙たがられていたと伝わります。

A:加害者も被害者もいずれも春日局につながる縁者ですね。この刃傷事件のトピックスは、堀田正俊を刺した稲葉正休が、周辺に居合わせた老中らによって、その場で斬殺されてしまうことです。その中には、正休の従兄弟で老中の稲葉正則もいました。ほかの刃傷事件では、加害者はみな取り押えられるわけですが、本件のみ現場で加害者が殺害されるということになりました。

I:現場で即時、抹殺されたのは口封じであり、黒幕=大老堀田正俊を亡き者にしようとした勢力がいたのではないかと疑われるわけですね。

A:そうです。大老堀田正俊が亡くなって誰がいちばん得をしたのか? じつは将軍綱吉だともいわれています。

I:だとすれば、黒幕は将軍綱吉!?

A:そういう説もありますが、真実は不明なままですね。「真実は不明」ってのは、田沼意知事件もそうなのですが……。

江戸城の刃傷事件で初の「討ち損じ」

■元禄14年(1701)3月14日 浅野長矩×吉良義央

A:「江戸城の刃傷」でもっとも有名なのが浅野内匠頭長矩(たくみのかみ ながのり)が吉良上野介義央に斬りかかった事件ではないでしょうか。しかも本件は、江戸城刃傷沙汰の中で初めての討ち損じ事例になります。『仮名手本忠臣蔵』など本件を題材にした物語などが多数作られ、もはやどこからどこまでが史実なのか創作なのか、にわかに判別できない有名事件です。

I:私は、「殿中でござる」と叫びながら、浅野長矩を取り押さえた梶川与惣兵衛頼照が、戦国時代に美濃国主として君臨していた土岐頼芸の曽孫というのがツボなんです。

A:斎藤道三に追放された美濃国主ですね。2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』では尾美としのりさん、1973年の『国盗り物語』では金田龍之助さんが演じました。でも、そんなこといったら吉良上野介の吉良家も名門。大河ドラマでいえば1991年『太平記』で、山内明さんが演じた吉良貞義が思い出されます。『太平記』といえば第22回の「鎌倉炎上」が大河ドラマ史上屈指の神回として知られていますが、足利尊氏が19ある分家の主を集めて「反北条」を宣言した第20回「足利決起」の回も見ごたえのある回だったんですよ。

I:また、古い話を持ち出してくる(笑)。

A:足利19分家の筆頭として足利尊氏を出迎えたのが吉良貞義。恭しく尊氏に挨拶をしながら、「敵は誰なのか」と尊氏に問う場面は感動ものでした。このときは吉良の本拠三河国で尊氏を迎えていました。三河は足利王国とナレーションで紹介されました。

I:三河の吉良吉田は今も吉良の殿様、特に吉良上野介義央を大事にしていて、この土地では名領主だったという伝承が残っているんですよね。

家康実母の実家ということで……

■享保10年(1725)7月28日 水野忠恒×毛利師就

I:浅野内匠頭の刃傷から約25年が経過した享保10年(1725)、国宝松本城を擁する信濃松本藩主だった水野忠恒が刃傷事件を起こします。場所は奇しくも「江戸城松之廊下」。被害者は、長府藩世子毛利師就(もろなり)。水野忠恒が毛利にいきなり斬りつけたという刃傷事件です。幸い、毛利師就は、鞘刀で応戦し、難を逃れます。浅野内匠頭の刃傷同様に「討ち損じ案件」になります。

A:この刃傷事件ですが、『営中刃傷記』によれば、完全に水野忠恒の「乱心」ということで処理されたようです。水野忠恒は、城地を召し上げられるのですが、「水野家」が、初代将軍徳川家康の生母於大の方の実家であるということも勘案されたのか、蟄居という処分で済んでいて、叔父に7000石が与えられ、後に大名に復したそうです。『営中刃傷記』には、「家筋を思召され」と表現されています。このとき7000石を与えられた叔父の忠穀の嫡男が水野忠友で、なんと第10代将軍家治の治政下、田沼派として老中に昇格しているのですから、歴史ってほんとうにおもしろい。

I:それにしても、自身の結婚報告のために江戸城に上がったのに、その日にこんな事件を起こすとは。不可解ですよね。

A:浅野長矩、水野忠恒と2回続けて討ち損じが発生しました。「なぜ、刺さないで斬りつけたのか」などの批判もあったり、大坂の陣から80年以上たって、武士力が低下したのだという意見もあったりします。

衝撃的な「人違い刃傷」で大藩藩主が命を落す

■延享4年(1747)8月15日 板倉勝該×細川宗孝

I:さて、次の刃傷事件ですが、延享4年(1747)。江戸城大広間で発生しました。殺害されたのが、大藩肥後熊本藩54万石の当主細川宗孝です。

A:加害者板倉勝該(かつかね)は、遠江相良藩主(田沼意次襲封前)の板倉勝清を本家とする大身旗本(7000石)なのですが、父の板倉重浮の実家は堀田家で、殿中での刃傷で亡くなった大老堀田正俊の兄堀田正信のひ孫になります。

I:なるほど。これも春日局の係累に連なるといってもいいのでしょうか。

A:そもそも板倉勝該のターゲットは板倉本家の勝清だったといわれています。なんでも、大身旗本の当主として、その行ないがふさわしくないと判断され、当主を勝清の息子に交代するという話が進んでいたといいます。そのことを恨みに思った勝該は、勝清殺害を決意。ところが江戸城内で、板倉家の「九曜巴紋」と細川家の「九曜星紋」を誤認。肥後細川50万石の当主細川宗孝を殺害した刃傷事件でした。

I:人違いで殺害されたとは、なんといたわしい事件なのでしょう。

A:『営中刃傷記』によれば、事件現場は江戸城大広間の「小便所」ということです。強い殺意があったと思われ、首筋脇、左之肩、右之肩、左右之手小疵、鼻之上耳之際、背右之脇腹より左之脇腹まで筋違、頭に小疵と執拗に切り付けられたと伝えられています。

I:人違いでこれほどの傷を負わせるとは。

A:本件も、「乱心」ということになっていますが、加害者の板倉勝該は、自ら髷を落とし、小便所の奥の「雪隠」(トイレ)に隠れていたそうです。このような男に斬られた細川宗孝の無念の思いたるや……。

I:細川宗孝はまだ30代前半だったので、後継ぎを決めてなかったんですよね。

A:そうなんです。後継ぎが決まっていないということは、お家断絶になってもおかしくない。前述の傷の多さをみれば、現場で息絶えたかと思われます。大藩細川家の危機でしたが、まだ息があるということにして藩邸に運ばれ、「治療」を施し、その間に、宗孝の弟を末期養子にすえて、改易危機という難局を乗り切ったというのです。

I:このとき宗孝のあとを継いだ弟は、上杉治憲(鷹山)らとともに名君の誉れ高い細川重賢ということになるので、歴史とはほんとうにわからないものですね。

A:そして、この前代未聞の「人違い刃傷」から37年、若年寄田沼意知が殺害される刃傷事件が起きます。次週、『営中刃傷記』の記述を追いながら、意知刃傷の真相に迫りたいと思います。

※『営中刃傷記』は、『新燕石十種』第4巻(中央公論社)を参照しています。

●編集者A:書籍編集者。『べらぼう』をより楽しく視聴するためにドラマの内容から時代背景などまで網羅した『初めての大河ドラマ~べらぼう~蔦重栄華乃夢噺 歴史おもしろBOOK』などを編集。同書には、『娼妃地理記』、「辞闘戦新根(ことばたたかいあたらいいのね)」も掲載。「とんだ茶釜」「大木の切り口太いの根」「鯛の味噌吸」のキャラクターも掲載。

●ライターI:文科系ライター。月刊『サライ』等で執筆。猫が好きで、猫の浮世絵や猫神様のお札などを集めている。江戸時代創業の老舗和菓子屋などを巡り歩く。

構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり

 

関連記事

ランキング

サライ最新号
2025年
8月号

サライ最新号

人気のキーワード

新着記事

ピックアップ

サライプレミアム倶楽部

最新記事のお知らせ、イベント、読者企画、豪華プレゼントなどへの応募情報をお届けします。

公式SNS

サライ公式SNSで最新情報を配信中!

  • Facebook
  • Twitter
  • Instagram
  • LINE

小学館百貨店Online Store

通販別冊
通販別冊

心に響き長く愛せるモノだけを厳選した通販メディア

花人日和(かじんびより)

和田秀樹 最新刊

75歳からの生き方ノート

おすすめのサイト
dime
be-pal
リアルキッチン&インテリア
小学館百貨店
おすすめのサイト
dime
be-pal
リアルキッチン&インテリア
小学館百貨店