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「吉良上野介」は悪人だったのか~「忠臣蔵」敵役の真実【にっぽん歴史夜話23】

文/砂原浩太朗(小説家)

江戸城・松の大廊下跡

江戸城・松の大廊下跡

「お手前いつの間にやら鮒(ふな)に似て参ったな。おうおうそのように力(りき)んだ所は鮒そのままじゃ……鮒だ、鮒だ、鮒侍だ、ハハハハハハ」

ある年代以上の方には、聞き覚えのある台詞だろう。映画の全盛期、毎年のように作られた忠臣蔵もので、敵役の吉良上野介(こうずけのすけ)が浅野内匠頭(たくみのかみ)に浴びせる悪口雑言である。

今となってはいくぶん分かりにくいが、ここでの鮒は「井の中の蛙」とおなじく、せまい世界で生きているものの比喩。つまり、浅野が世間しらずの田舎者だと愚弄しているのである。直後、内匠頭は耐えかねて刀を抜き、上野介へ刃傷におよぶのだが、じつはこの台詞、歌舞伎や文楽の「仮名手本忠臣蔵」(1748年初演)から引き継がれたもの(上記の引用は、2016年国立劇場・歌舞伎公演の台本から)。同作では実名をさけ南北朝時代の武将・高師直(こうのもろなお。第22回参照)に置き換えられているが、吉良の憎々しさは300年近くにわたって練り上げられているわけだ。日本史上、屈指の悪役ともいうべき吉良上野介、まことはどのような人物だったのか。

吉良上野介とは何者か

「上野介」は通称であり、吉良の名は義央(読み方には、「よしひさ」「よしなか」の両説がある)という。寛永18(1641)年生まれだから、刃傷事件のおりは数えで61歳。吉良家は足利氏の支流にあたる名族で、石高は4200石ながら官位もたかく(従四位上。ちなみに、浅野は従五位下)、朝廷との連絡や儀式の運営・指導にあたっていた。このような人々を高家(こうけ)と呼び、上野介はその筆頭格である。また、夫人が米沢上杉家の出だったため、藩主が急逝した同家に息子が養子として入り、家督をついだ。15万石の当主がじつの子というわけだから、身分が高いだけでなく、つよい後ろ盾をもっている。かなりの実力者と見るべきだろう。

元禄14(1701)年3月、勅使(天皇からの使者)が将軍への挨拶に江戸城をおとずれる。上野介はその接待役である播州赤穂(兵庫県赤穂市)5万石の城主・浅野内匠頭長矩(ながのり。1667年生の35歳)を指導することとなった。同月14日、城内・松の廊下で、浅野がとつぜん吉良に斬りつける。この日は一連の行事もおわり、勅使が京へ帰るいとま乞いのため登城することになっていた。上野介は傷を負ったものの、いのちに別条はなし。が、浅野は即日切腹のうえ、領地没収を命じられた。この裁きを不服とした赤穂の浪人たちが、翌年の12月14日、吉良邸に押し入って上野介を討ち取るという流れになる。

余談になるが、「国史大辞典」(吉川弘文館)吉良義央の項には、「赤穂浪士に殺害されたことで著名」「浅野長矩の旧臣たちの襲撃をうけて殺害された」などと記されている。筆者自身、はじめて見たときには「殺害」という言葉の冷厳さに驚いたものだが、事実だけを述べれば、そういうことになるのだろう。脚色された物語と歴史そのものの距離を見せつけられた思いだった。

刃傷事件の原因は?

徳川時代をつうじて、江戸城内での刃傷事件は9件。そのうち即日切腹の処分をうけたのは、内匠頭ひとりである。勅使接待という任にありながら晴れの日に騒ぎをおこしたことで、将軍・綱吉のはげしい怒りを買ったのだろう。

古来、刃傷の原因をめぐってはさまざまな推測がめぐらされてきた。もっとも有名なのは、賄賂を贈らなかったことに腹をたてた吉良が浅野をさいなみ、耐えかねて刀を抜いたというものにちがいない。これは水戸藩につかえた儒者・三宅観瀾(かんらん)が事件から10年以上のちに書きとどめた説だが、じつは「結局のところ不明である」という断りがついている。また、教えを乞うた吉良に謝礼をわたすのは、当時一般におこなわれていた慣習だった。もしそれがなかったとしたら、浅野側の手抜かりと言われても仕方ないところではある。

ほかにも、赤穂と吉良の領地がともに塩の産地であったことから、上野介がその製法を知ろうとして浅野が撥ねつけたとするものや、内匠頭の精神に遺伝性の疾患があったというものなど、諸説入り乱れている。が、裁きらしい裁きもおこなわれぬまま浅野が切腹させられたため、はっきりした原因は知りようがない。どの説も憶測の域を出ることは不可能なのである。

上野介=名君説

上野介のおもな領地は、愛知県の旧・吉良町(現・西尾市)。ここには現在も赤馬という郷土玩具がある。名のとおり、赤く塗られた馬の人形なのだが、これは上野介がそのような馬に乗り領内を見回ったという伝承にもとづくもの。同地では、黄金(こがね)堤という堤防(現存)を築いて治水に心をくだき、富好(とみよし)新田を開墾して収穫をふやす(塩田説も)など名君としての上野介が語り継がれている。もっとも、吉良家が討ち入りののち断絶してしまったため、公式の記録がのこっておらず、厳密にいえば、これらは上野介の功績として確証を得てはいない。

ただ、彼が茶道や和歌、禅にまで通じた文化人であったことはたしかである。そのイメージは、歌舞伎や映画の憎々しげな悪役とは重なりにくい。吉良町の伝承からは、領主が日本中から悪者あつかいされてしまった無念と、「名君であってほしい」という悲痛な思いを汲みとるべきだろう。

歴史上、悪人とされる者は数多いるが、吉良をはじめ、その大半は敗者である。フィクションとして楽しむのとはべつに、そろそろ汚名を着せられた人々に新しい光を投げかけてよいころではなかろうか。

文/砂原浩太朗(すなはら・こうたろう)
小説家。1969年生まれ、兵庫県神戸市出身。早稲田大学第一文学部卒業。出版社勤務を経て、フリーのライター・編集・校正者に。2016年、「いのちがけ」で第2回「決戦!小説大賞」を受賞。著書に受賞作を第一章とする長編『いのちがけ 加賀百万石の礎』、共著『決戦!桶狭間』、『決戦!設楽原(したらがはら)』(いずれも講談社)がある。

『いのちがけ 加賀百万石の礎』(砂原浩太朗著、講談社)

 

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