文/矢島裕紀彦

明治10年(1877)、鹿児島の私学校の生徒の暴発から、政府軍と薩摩軍との衝突が起こった。薩摩軍の大将の座には、かつぎあげられる形で西郷隆盛(さいごう・たかもり、1828-1877)がすわった。西南戦争である。

薩摩軍3万に対して政府軍は6万。装備の近代性にも格段の差がある。西郷らは次第に劣勢に追い込まれ、鹿児島を退却。熊本方面からさらに宮崎方面へと向かった。

このころには薩摩軍は軍資金にも窮するようになり、ついに独自の紙幣を贋造するに至った。これがいわゆる「西郷札」である。発行総額14万円余り。種類は10円、5円、1円、50銭、20銭、10銭の6種だった。これを使って、必要な物品を調達しようとしたのだった。

中には「西郷さんの御札ならお守りにしたい」といって喜んでものを売る商人もいたが、それは一部のこと。もとより正式な紙幣ではなく、戦争終結のあと政府に補償を求めた商人らは、賊軍発行のものは認められないと一蹴されてしまったという。(※このあたりの話は、紀田順一郎著『明治事件簿』に詳しい。)

明治政府は一銭の価値も認めなかった西郷札だが、熱烈な西郷隆盛びいきには別の値打ちがある。また、歳月の経過とともに少しずつ骨董的価値も生じていった。

明治13年(1880)には、大阪で西郷札をめぐるちょっとした騒動も起こった。

徹底した西郷好きのある男が、難波の料亭で芸妓相手に西郷の話に花を咲かせていたところ、急に腹痛を覚え、薬屋に薬を買いに走らせた。その際、ついうっかりして秘蔵の西郷札を渡してしまった。あとでこのことに気がつき薬屋に赴いたが、薬屋もかねてからこれを欲しいと願っていた口。嬉しさの余り、神棚に上げて、御神酒とお菓子を備えている、返すことはできない、とはねつける。

大喧嘩の末、もとの持ち主の手元に西郷札が返るまで、幾日もの時間を要したという。

ちなみに、昭和26年(1951)になって、この「西郷札」をテーマに小説を書き、懸賞小説に応募した人物がいる。その人こそ、のちに社会派推理小説の大御所となる松本清張。西郷の贋札は、70余年の時を経て、日本の文壇史に意外な貢献をしていたのだ。

もちろん、西郷の波瀾にみちた生涯そのものが、海音寺潮五郎、司馬遼太郎、池波正太郎らの歴史小説に結実していることも、言うまでもない。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

※本記事は「まいにちサライ」2015年3月21日配信分を転載したものです。

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