文/晏生莉衣
ラグビー ワールドカップで学ぼう!(3) 国歌から知る出場国の歴史(中編)【世界が変わる異文化理解レッスン 基礎編28】世界中から多くの人々が訪れるTOKYO2020の開催が近づいてきました。楽しく有意義な国際交流が行われるよう願いを込めて、英語のトピックスや国際教養のエッセンスを紹介します。

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ラグビー ワールドカップでいろいろな国々の国歌に触れる機会が増えるとともに、「アンセム」という言葉が聞かれるようになっています。カタカナ書きの元の単語は英語のanthemで、あるグループや組織に捧げられ、特別な行事などで歌われる祝歌を意味しますが、元々は聖歌や賛美歌などキリスト教教会で歌われる合唱曲のことです。national anthemで国歌の意味になり、言葉の由来が示すようにキリスト教圏の国歌の多くは賛美歌がベースで、祖国のために神の守護を願う歌詞が含まれています。royal anthemは王室歌の意味で、前回紹介したように英国国歌を王室歌としている国があります。さらに、今回紹介するアイルランドは、国歌ではなく、ワールドカップのためのrugby anthem(ラグビーアンセム)とも呼ばれる歌を斉唱します。

「Ireland(アイルランド) 『Ireland’s Call』」

すでに多くのメディアで紹介されていますが、アイルランドは国として出場していない特別なケースです。カトリック系住民が多数を占め、1922年に英連邦の自治国となりましたが、プロテスタント系住民の多い北部は英国領に残り、アイルランドは2つに分離しました。それでも、それ以前に発足したアイルランドラグビー協会は、その後の南北の激しい対立にもかかわらず、1つのままに留まって活動を続け、現在に至っています。そのため、ラグビーワールドカップでは、アイルランドと北アイルランドが1つのチームを組んで出場しています。同じ英国(UK)のイングランド、スコットランド、ウェールズとは違い、「北アイルランド」代表チームは存在していません。

しかし、試合前の国歌斉唱はこのチームにとっては難題となり、1987年の第1回目のラグビーワールドカップではその場をしのぐためにアイルランドの古いバラードが、次のワールドカップでは、開催国の1つとなったアイルランドの国内での試合のみアイルランド国歌(『Amhrán na bhFiann』(アイルランド語)『The Soldier’s Song』(英語) 「兵士の歌」の意味。1926年制定)が流されるという苦肉の対応が取られてきました。そのため、アイルランドラグビー協会の決定によって第3回ワールドカップのために『Ireland’s Call』が作成され、以後、アイルランドの「ラグビーアンサム」として使われています。「アイルランドの叫び」というように訳され、「あぁ、アイルランド/ともに毅然と立ち並び/肩と肩を組み合って/アイルランドの叫びに応えよう」と熱く繰り返される合唱から、チームの思いが会場に伝わってきます。

「Italy(イタリア) 『Il Canto degli Italiani』」

国歌名は「イタリア人の歌」という意味ですが、国民の間では、作詞者の名前を取って『Inno di Mameli』(マメーリの賛歌)と呼ばれています。作詞されたのは1847年。オーストリアからの独立とイタリア統一をめざす市民の抵抗運動が続けられていた時代でした。作詞した20歳のマメ―リは青年活動家で、そのあとまもなく、抵抗運動に参加中、21歳で命を落としてしまいましたが、その詩はメロディがつけられて統一運動中に国民の間で広まっていき、それから一世紀の時を経て、1946年にイタリア共和国が誕生すると国歌同様に再び歌われるようになりました。正式に国歌と制定されたのはごく最近の2017年12月です。歌詞の最初の一行から『Fratelli d’Italia』(イタリアの同胞)とも呼ばれています。繰り返しのフレーズは「隊を組もう/我らは決死の覚悟/いざ、イタリアが出陣!」と、祖国統一のために戦う当時の勇者たちの闘志にあふれ、試合の前の士気高揚効果たっぷりと言えそうです。日本でのプール最終戦は対ニュージーランドという好カードでしたが、残念ながら台風の影響で中止となってしまいました。

「Namibia (ナミビア) 『Namibia, Land of the Brave』」

南アフリカなどと国境で接し、大西洋に面するナミビアは、世界自然遺産の広大なナミブ砂漠を擁し、日本の2倍以上の国土を持つ国です。ドイツ、そして南アフリカに統治され、1990年に独立。コンテストで国歌を選び、『Namibia, Land of the Brave』が翌年、国歌に制定されました。国歌名は「ナミビア、勇者の国」という意味になりますが、その名の通り、「我らが勝利した自由への戦い/自由のために犠牲の血を流した勇者に栄光を」と、厳しい過去を勇敢に乗り越えた歴史へのプライドにあふれています。勇ましい曲調の国歌が多い中、ナミビアの国歌は穏やかなメロディで、その調べにのせて流れる美しい祖国への愛と忠誠を誓い合う歌詞が心に響きます。日本での斉唱では、歴史的に異なるエスニシティの代表選手たちが左手で肩を組み、右手を胸に当て、思いを込めて歌う姿が印象的でした。銀行員や学生など、アマチュアメンバーが半数以上を占めるハンディを負いながらもチーム一丸となって懸命にゴールをめざす姿が日本でも共感を呼び、そのひたむきなプレイからは、違いがあっても一致団結して困難に立ち向かおうというナミビアの思いが表れているように感じられます。公用語は英語ですが、その他の部族言語や南アフリカの一言語のアフリカーンス語、ドイツ語も話されています。

「New Zealand(ニュージーランド) 『God Defend New Zealand』(英語) 『Aotearoa』(マオリ語)」

ニュージーランドは前回紹介したオーストラリアやカナダと同じく英連邦王国の1つで、英国国王を国家元首としています。「キャプテン・クック」がオーストラリアを発見する前にこの地に上陸し、オーストラリア同様にイギリス領となりましたが、それより前の17世紀半ば、ヨーロッパ人で最初に来航したのはオランダ人で、ニュージーランドという国名はオランダ語にちなんでいます。先住民族マオリ族は、直訳で「長く白い雲の地」を意味するAotearoaと呼んでいたことから、Aotearoaはマオリ語の国名と国歌名にもなっています。

英語の国歌名は「神よニュージーランドを守り給え」という訳になりますが、1870年代に作詞作曲され、以後、もっとも人気のある讃歌となりました。ニュージーランドは1907年にイギリス自治領となり、1947年に独立。同曲を国歌にしようという動きが高まりましたが、正式な制定は1977年。従来の国歌とされてきた英国国歌『God Save the Queen』と同様の扱いで国歌とすることが、英国女王から承認されました。したがって、ニュージーランドには英国国歌と独自国歌という2つの国歌があります。独自国歌は「神よ、我が祖国を守りたまえ」と繰り返し、ニュージーランドの自由と平和を神に願う内容です。独自国歌のマオリ語への翻訳は早くから手がけられましたが、マオリ語が辞書としてまとめられていないことなどから難航し、改編を重ねたものが現ヴァージョンです。ラグビーワールドカップでは、『Aotearoa』、『God Defend New Zealand』の順で、それぞれの一番が歌われています。公用語は英語、マオリ語に加え、2006年から手話も公用語となりました。

「Russia(ロシア) 『осуда́рственный гимн Росси́йской Федера́ции』」

日本語では「祖国は我らのために」というように訳されていて、ローマ字表記ではGosudarstvenny Gimn Rossiyskoy Federatsiiとなります。1944年に決められたソヴィエト連邦の国歌はとても好戦的な内容で、歌詞にはレーニン、スターリンの名も。スターリンの死後に歌詞は使用されなくなり、1977年に新たな歌詞が作られ、1991年のソ連崩壊まで使われました。ソ連崩壊後、ロシアには新たな国歌が必要となり、歌詞のない曲だけの愛国歌が用いられたものの定着せず、2000年に就任したプーチン大統領によって、旧ソ連時代の国歌のメロディに、旧ソ連時代の国歌と同じ作詞者によって新たに書かれた歌詞をつけたものがロシアの国歌として制定されました。「古き同胞の結束/祖先から伝わる民の英知/我らの祖国に栄光あれ!」と繰り返す、ロシアとその民への愛と誇りにあふれた国歌です。ヨーロッパ地区予選で上位2か国の違反が発覚して出場権を獲得したロシアは、日本と同じプールA。開幕戦で日本と対戦し、繰り上げ出場とは思えない見事なプレイで白熱した試合を繰り広げました。

「Samoa(サモア) 『O Le Fu’a o Le Sa’olotoga o Samoa』(サモア語) 『The Banner of Freedom』(英語)」

サモアと聞くとアメリカ領では?と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、ワールドカップに出場を果たしたのは、Independent State of Samoa(サモア語ではMalo Saʻoloto Tutoʻatasi o Sāmoa)を正式名とするサモア独立国です。18世紀以降、欧米からの来航が続いた南太平洋のサモア諸島のうち、東側はアメリカ領、西側はドイツ領に。西側は、第一次世界大戦後は国際連盟による委任、第二次世界大戦後は国際連合による信託によってニュージーランドが統治しましたが、1962年にWestern Samoa(西サモア)として、太平洋諸島の国々では初めて独立を果たしました。1997年に現在の国名に改称。

国歌は独立時に制定され、公用語のサモア語と英語で書かれています。サモア語の国歌名を訳すと「サモアの自由の旗」というようになり、出だしの歌詞の「サモアよ立ち上がって旗を掲げよ、王の印を!」と重なります。「旗にきらめく星々はサモアのために犠牲となったイエス(キリスト)のシンボル」「恐れるな、神は我らの礎、我らの自由」といった歌詞から、国民のほとんどがキリスト教徒というお国柄がうかがえます。「旗」は同じく独立時に制定された国旗を、「星々」は国旗に描かれている南十字星を指すのでしょう。人口約20万人の約90パーセントはポリネシア系のサモア人でサモア語を話し、試合前の斉唱でもサモア語の国歌が歌われます。今回のワールドカップでは日本と同じプールAで、日本代表チームとも熱戦を繰り広げましたが、試合前には気迫のこもった伝統の「Siva Tau」(シヴァタウ)という戦いの前の舞いを披露して、会場を大いに盛り上げてくれました。

(次回に続く)

文・晏生莉衣(Marii Anjo)
教育学博士。20年以上にわたり、海外で研究調査や国際協力活動に従事。途上国支援や国際教育に関するアドバイザリー、平和構築関連の研究等を行っている。

 

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