文と写真/晏生莉衣

私たちの暮らしの安全を脅かすような出来事が、身近な社会でも世界各地でも起こっています。戦争はその最たるもの。そこで思い起こされるのが、ある格言です。

“Si vis pacem, para bellum.”
「平和を望むなら、戦争に備えよ」

古代ローマ時代の格言です。本題に入る前に、このフレーズを理解するために少しだけ語学の学びをすると、ご存知の方は多いと思いますが、ラテン語で「平和」はpax。そしてこのpaxは、英語でいうところの直接目的語として用いられる場合、pacemとなります。英語のpeaceをなんとなく連想できますね。

bellumはラテン語で「戦争」の意味です。英語で戦争といえばwarですが、warはラテン語系の単語ではないので、bellumとはつながりません。ただし、英語のヴォキャブラリーが豊富な方なら、bellumのbell-を語源とするbelligerenceという言葉を思いつかれるでしょう。belligerenceは「好戦性」「交戦」といった意味で、交戦はすなわち戦争をする、戦争状態ということですからwarの同義語です。ほかにも、belligerent(好戦的な、交戦中の、交戦国)、bellicosity(好戦的なこと)、bellicose (好戦的な)といった派生語があります。

「強そうな相手にはケンカを売らない」

さて、本題の「平和を望むなら、戦争に備えよ」ですが、古代ローマ時代の出典はあきらかではないとされています。それでも、この格言は言い得て妙というような響きがあって、欧米の国際安全保障の議論では、現在にいたるまでよく使われる格言となっています。

格言中の「戦争に備えよ」というのは、戦争の準備をせよ、ということなのですが、よく考えてみると、平和を望んでいるのになぜ戦争の準備をしなければならないの? と、なにか矛盾しているようにも聞こえます。ごくふつうの発想では「平和を望むなら平和への備えをする」となるでしょうし、「戦争を始めたいなら戦争をする準備をする」となるのではないでしょうか。それがどうして、「平和を望むなら、戦争に備えよ」になるかと、首をかしげたくもなります。

とても逆説的な格言ですが、軍事戦略の世界では、理にかなっているとする研究者や専門家が多くいます。戦争と平和という大きなキーワードだけでこの格言の意味するところを理解しようとするとわかりにくいかもしれませんので少し掘り下げると、格言から引き出されるのは、「じゅうぶんな戦闘能力を備えることで、他国から攻撃されることを防ぐ」という考え方です。言いかえると、「平和を守るためには平和を脅かされないだけの軍事力が必要だ」という抑止論で、特に軍備増強論者から支持されています。

そして、この抑止力のロジックは、自衛権しか持たない日本に、ある意味、よく当てはまるとも考えられます。「自衛能力、すなわち防衛力を高めれば、その防衛力が抑止力となって他国から攻撃される危険性は低くなり、平和が保たれる」という平和と自衛能力の関係です。軍備の増強と聞くとなんとなく危ない話と思ってしまいますが、「あなただって強そうな相手にケンカを売らないでしょ?」と言われれば、「ああ、そうだな」「そうかもしれない」とうなずくところもあるのではないでしょうか。

強いと思われる人は戦わずして勝ち、弱いと思われる人は戦わずして負ける ―― そうしたことは仕事の場面や、仕事以外の人間関係上でもありがちです。

自分たちの生活レベルで考える

「平和を望むなら、戦争に備えよ」は国家レベルの軍事の議論で使われるものですが、そのロジックは私たちの日常生活レベルに転用して考えることもできます。

私たちは日々、なにごともなく生活しているように思いがちですけれども、実は多くの危険から身を守りながら暮らしています。たとえば、火災。思いがけないことが原因で、あるいは不可抗力によって、住居で火災が発生することがあります。火災の危険から身を守るためには、火の扱いに注意するなど火事を起こさないように気をつけることはもちろんですが、それに加えて、万が一、火事が起きた場合に備えておくことも必要です。日本では、すべての住宅に火災警報器の設置が義務づけられていますし、消火器を備えておく、火災保険に入るといった追加の対処法を取っている方もいらっしゃるでしょう。

「どうか火事が起こりませんように」と、祈るだけでは火災の危険から身を守ることはできません。少しでも安全、安心な生活を送るには、実際に火災が起こったときのことを想定して、事前に対策を取っておくことが大切です。また、火災だけでなく、自然災害が多く発生する日本では、日頃からさまざまな災害に備えておくことは、もはや常識です。

「備えあれば憂いなし」。日常の視点から “Si vis pacem, para bellum.” を超訳すれば、こんなふうになるかもしれません。

「平和な国ニッポン」幻想を超えて

再び、国家レベルの軍事力の話に戻ると、国を守るのに一定の防衛力は必要と認めながらも、このローマの格言を良しとしない人たちもいます。どこまで戦闘能力を高めればよいのか、エスカレートしすぎは危ないという意見があり、安易に軍事力に頼る危険性が生まれるから慎重にするべきだという意見もあります。グローバル規模の軍事拡大競争につながって、世界全体に危険が広がるという明確な反対論もあります。

日本にとっては、武力行使の必要がないように、どの国とも平和的な関係を保つ努力をするという平和構築の取り組みは大前提なのですが、戦争は戦う相手がある問題ですから、自分たちの国の都合や計画だけではシナリオは描けないというのも事実です。相手側のプレイヤーがどう出るか、実際になにかが起こるまでは予測不可能な要素があり、それが、戦争と平和を考えるむずかしさにつながっています。

「平和な日本」「安全で安心な日本」というのは幻想にすぎないと悟らされる昨今。自分たちの国は自分たちで守らなければならない。そうしたリアルな現実を、私たちは突きつけられています。不安にかられることが多い日々ですが、平和について、戦争について、過去の問題ではなく、現在の私たち、そして未来の私たちの問題として考えるときがきているのではないでしょうか。

文と写真・晏生莉衣(Marii Anjo)
教育学博士。20年以上にわたり、海外研究調査や国際協力活動に従事。平和構築関連の研究や国際交流・異文化理解に関するコンサルタントを行っている。近著に国際貢献を考える『他国防衛ミッション』(大学教育出版)。

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