文・晏生莉衣

「ジェノサイド」という言葉が日常的に聞かれるようになりました。ウクライナ情勢に関連して(大量虐殺)と括弧付きで使われているのを見かけますが、この「ジェノサイド」という言葉、いったい、何語なのでしょうか?

「ジェノサイド」は造語

一種独特な響きを持つ言葉ですが、これは、実は造語です。人種や部族を意味するギリシア語の「geno-」と、殺人を意味するラテン語の「-cide」が組み合わされて、genocideとなりました。この新しい用語を生み出したのは、ラファエル・レムキンさんというポーランド系ユダヤ人法律家です。レムキンさんは第二次世界大戦の戦火が広がるヨーロッパから逃れてアメリカに渡り、ナチスの組織的な人種破壊政策を記録する作業を進める中で、そうしたことを表現する言葉を考案し、1944年の著書の中でgenocideという用語を初めて用いました。

約80年前の世に生み出されたgenocideという言葉は、当時、概念的に用いられることが多かったものの、創作者レムキンさんは犯罪を指す法律用語としてのgenocideの認知に努め、その貢献もあって、国連は第二次世界大戦後の1948年、日本で「ジェノサイド条約」と呼ばれる国際人権条約を採決しました。正式にはConvention on the Prevention and Punishment of the Crime of Genocide(1951年発効)で、日本語の正式名称は「集団殺害罪の防止及び処罰に関する条約」と、genocideは「集団殺害」と訳されています。

このレッスンでは以前、ジェノサイド条約について取り上げました(レッスン17(https://serai.jp/living/1020391))。この条約によってジェノサイドは国際法上の犯罪であると定められたのですが、条約では、ジェノサイドを「国民的、民族的、人種的または宗教的な集団の全部または一部を破壊する意図を持って行われる行為」と規定しています。条約成立の背景に、ユダヤ人を強制連行して収容し、集団として死に追いやったホロコーストという史実があったことを考えながら読み解くと、ジェノサイドは、単に「大量虐殺」を指すのではなく、特定の人種や民族、あるいは特定の宗教を持つ人々をターゲットとした集団的迫害や殺害を意味していると解釈されます。

ウクライナでの「ジェノサイド」

ウクライナ情勢については、武力侵攻発生当初から、ロシア、ウクライナ双方が「ジェノサイド」という言葉を用いていましたが、こうした「ジェノサイド」の特性からはだいぶ一般化され、なにか漠然とした用いられ方がされているような感がありました。しかし、戦況が激しさを増す中、ウクライナでの一般市民の集団的な強制連行や、民間人をターゲットとした無差別的な殺戮や虐待行為が伝えられるようになるにつれ、「ロシアはウクライナ人を攻撃対象に、ウクライナという国家を破壊することを目的としている」と訴えるウクライナ側の主張は、ジェノサイド条約の規定にある「国民的な集団の全部または一部を破壊する意図を持って行われる行為」にきわめて近い様相を呈するようになってきました。

「ジェノサイド」で裁かれた指導者

ジェノサイドを含め、ロシアのウクライナ侵攻に関する戦争犯罪については、オランダのハーグにある国際刑事裁判所(ICC: International Criminal Court)による捜査がすでに開始されています。「ジェノサイド」が第二次世界大戦後のヨーロッパにおける国際上の犯罪として最初に裁かれたのは、この国際刑事裁判所が設置される以前、1990年代に旧ユーゴスラビアから独立したボスニア・ヘルツェゴヴィナで勃発した内戦中、セルビア系武装勢力が行ったムスリム系住民の大虐殺についてです。

スレブレニツァという小さな村でムスリム系住民のボシュニャク人男性が7000人以上、セルビア系武装勢力から強制連行され、数日のうちに集団殺害されました。国連決議によりハーグに特設されていた旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所(ICTY: International Criminal Tribunal for the former Yugoslavia)によって、ただちにこの集団殺害に関する捜査が行われ、当時のセルビア系指導者カラジッチとセルビア系司令官ムラディッチが、スレブレニツァのジェノサイドを含む複数の罪で訴追されました。両名は長らく逃亡生活を続けていましたが、やがて逮捕され、最終的に終身刑が確定しました。

ウクライナで起こったと報告されているジェノサイドについて、犯罪の認定がされることはあるのでしょうか。いつ、誰が訴追されるのでしょうか。訴追されても罪が確定するまでには長い年月がかかると想定されますが、テクノロジーの進化が捜査により多くの証拠をもたらすとも言われています。

* * *

この時代に再び繰り返された戦争の惨禍。日本にも安全保障上の危険が身近に多く存在することを再確認させられることとなったこの戦争を、他人事ではないと感じていらっしゃる方も多いと思います。戦争を止めるような大きな力は個々の人間にはないかもしれませんが、正義の行方を見守っていくことは私たちにできることの一つです。

文・晏生莉衣(Marii Anjo)
教育学博士。20年以上にわたり、海外研究調査や国際協力活動に従事。平和構築関連の研究や国際交流・異文化理解に関するコンサルタントを行っている。近著に国際貢献を考える『他国防衛ミッション』(大学教育出版)。

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