文・写真/晏生莉衣

フランスのルルドとポルトガルのファティマ。ヨーロッパ旅行大好きという方なら、これらが聖母マリア出現で有名なカトリックの聖地であることをご存知かもしれません。しかし、同じように聖母出現が伝えられて大勢の巡礼者が集まるボスニア・ヘルツェゴヴィナのメジュゴリエについては、キリスト教徒が大変少ない日本ではあまり知られていません。

聖母マリアが紛争を警告?

それはボスニア・ヘルツェゴヴィナ内戦が起こる10年ほど前のこと。正確には、1981年6月24日、洗礼者ヨハネの祝日でした。

クロアチアに近いヘルツェゴヴィナの小さな村メジュゴリエで、数人の若者たちが、丘に輝く聖母マリアの姿を目撃したといいます。そののち、聖母は若者たちと親しく会話を交わし、祈りと悔い改め、そして平和を望まれました。

そう信じた若者たちの話は、聖母マリアご出現のうわさとなってあっという間に広がり、国内はもとより、事の真偽に疑問を持つ者、自分も聖母マリアを見たいという信仰者、興味本位のメディアなど、世界中から何千人もの人々が、なんの変哲もない片田舎のメジュゴリエに殺到することになりました。

このミステリアスな騒動が起こった当時、ボスニア・ヘルツェゴヴィナはユーゴスラヴィアの一連邦国で、多民族連邦国家ユーゴスラヴィア建国の父と呼ばれ、カリスマ性にあふれたティトー大統領は、その一年前に死去していました。強力な指導者を失って不安定化するユーゴスラヴィアはやがて崩壊していくのですが、聖母マリアは、民族間の対立や独立を巡る紛争を警告するかのように、平和を求めるメッセージを発し続けたといわれています。

聖母マリア出現の丘へと続く道。

伝えられるさまざまな超自然現象

そして、メジュゴリエの超自然的な現象は、聖母マリア出現だけにとどまりませんでした。湧き出た泉の水で病が癒やされるという奇跡が続いたルルドと同様に、病気の治癒の奇跡が起こったという話が伝えられるようになったかと思うと、聖母が重大なメッセージを子どもたちに託したといわれたファティマと同様に、聖母マリアが若者たちにいくつもの秘密を伝えたという話にもなりました。

さらに驚くことには、聖母マリアの出現は今も、毎日、続いているというのです。

あれやこれやと不思議なエピソードが生まれているメジュゴリエですが、1990年代前半に勃発したボスニア・ヘルツェゴヴィナ内戦の間に巡礼者が減少したものの、地理的にはクロアチアにほど近い山あいのこの村は、今日ではルルドやファティマ同様にヨーロッパにおける一大巡礼地となり、聖母マリアを慕う大勢の人々が世界各地から訪れています。

司牧の中心、聖ヤコブ教会。

しかし、メジュゴリエの聖母出現はいまだに公認されていません。その地を管理する教区の司教は、当時からメジュゴリエでは聖母マリアの出現は起こらなかったとして巡礼を禁止。司教が交代してもその姿勢は今に至るまで一貫しています。それでもカトリック信者の間では、メジュゴリエ熱は冷めるどころか高まり続け、その人気のあまり、メジュゴリエは、ヴァティカンのローマ教皇庁を悩ませる問題児のような存在になってしまいました。

ローマ教皇庁は公認していないが……    

長らく非公認が続く「聖地」メジュゴリエに関して、新たな展開が生まれたのは2019年。教皇フランシスコによってメジュゴリエへの公的な巡礼が許可されたのです。聖母出現についてはさらなる考察が必要とされるが、メジュゴリエが恵み豊かな地であり、訪れた者たちがそこで信仰を深めることは喜ぶべき霊的体験である、という見解からの決定でした。

ところが、その翌年には新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が世界的に広がって、各国が人の往来を止める対策を取りましたが、同様の対策を取ったボスニア・ヘルツェゴヴィナでは、メジュゴリエでも閉鎖状態が続くという影響が出ました。

世界的な緊急事態宣言が解かれた現在は、巡礼の受け入れが再開されています。渡航の規制がなくなった反動もあるのでしょうが、なによりも、ローマ教皇が公式巡礼を許可された効果は絶大で、いまや、各国からの巡礼団が押し寄せて、メジュゴリエはほとんど観光地化したような様相を呈しています。

聖母マリアの出現の丘を登る道は朝から晩まで混雑し、丘の上では聖母像の前で記念写真を取る人たちが入れ替わり立ち代わり。心を落ち着けて黙想することができる場を見つけるのがむずかしくなってきている状況は、オーバーツーリズムと言えなくもありません。

教皇による公式巡礼許可が出る以前から私的にメジュゴリエを訪れていた筆者は、以前の静かな祈りの雰囲気がなつかしく、ちょっと残念にも感じてしまうところです。

丘にはさまざまな国々、年代の巡礼団の姿が。
子どももいっしょに巡礼中。

ウクライナのために祈る姿も

巡礼団はその数だけでなく規模も大きくなって、旗を持って先導する人のあとにぞろぞろと続く団体の人たちと丘の途中で遭遇することもしょっちゅうです。

そして昨今は、ブルーと黄色の二色の大きな旗を持った巡礼グループを見かけることがあります。

メジュゴリエに出現した聖母マリアは常に平和を願い、そのために祈り、悔い改めるようにというメッセージを残されてきたと伝えられています。ウクライナの平和を求める切なる思いが、平和の聖母が現れると信じられている地へと向かわせるのでしょうか。広がる青空の下、キラキラと陽に輝くメジュゴリエは、混沌とするこの世界を映す神秘の鏡のような場所なのかもしれません。

ウクライナの国旗とともに祈る若者グループ。

ヴァティカンの新しい発表

そんな中、ローマ教皇庁は、超自然的とされる現象に関する新しい規則を発表しました(2024年5月19日発効)。これによれば、今後は、これまで検証のために大変長い時間を要していた超自然的とされる現象自体の公式な定義を行うことは基本的になくなり、現象の識別を肯定的なものから否定的なものまで6レベルで行うことになります。

また、発表では、多くの場合、超自然的とされる現象は信仰面にポジティヴな影響をもたらす一方、限られたケースにおいては害を生む危険性もあり、そうしたリスクに信者が巻き込まれる可能性があるとも指摘しています。

この新しい規則がメジュゴリエという非公認の「聖地」にどのような変化をもたらすのか、おおいに注目されるところです。

強い日差しを避け、夕暮れ前に放牧されるヤギやヒツジ。

多くの日本人にとっては知られざる秘境で、人々が祈りを捧げています。

晏生莉衣(あんじょう まりい)
教育学博士。国際協力専門家として世界のあちらこちらで研究や支援活動に従事。国際教育や異文化理解に関する指導、コンサルタントを行うほか、平和を思索する執筆にも取り組む。著書に、日本の国際貢献を考察した『他国防衛ミッション』や、その続編でメジュゴリエの超自然現象からキリスト教の信仰を問う近著『聖母の平和と我らの戦争』。

 

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