文/池上信次

ジャズ・ミュージシャンや、そのアルバムを紹介するときに必ず語られる「定説」があります。本連載でも「~が代表作とされている」とか「××のスタイルは○○によって確立された」などというようなことを頻繁に紹介していますが、まあそれらはジャズをより楽しむための基礎知識ともいえるものが多いので、知っておいて損はないものです。とはいえ、それにこだわりすぎると大事なことを聴き逃したり、見落としてしまうかもしれません。ときにはオープンマインドで見直してみることも必要です。

今回紹介したいのは、ビル・エヴァンスの「定説」、そしてその見直し。ビル・エヴァンス(1929~80)は、「ピアノ・トリオの新しいスタイルを築いた」「リリシズム(叙情性)溢れるピアノ・スタイル」というのが定説ですね。というわけで、ビル・エヴァンスを聴くなら「まずピアノ・トリオ。メンバーも曲も代表的な1961年のアルバムが最高」と定説は拡張されていき、それはまったく正しいと思いますが、大事なのはその先です。これによって、エヴァンスには「ピアノ・トリオの求道者」的なイメージがつきまとい、「それ以外」は隅の方へ追いやられたり、あるいはまるで顧みられなかったりしてしまっているのです。実際にエヴァンスのアルバムはピアノ・トリオ編成が圧倒的に多いのですが、エヴァンスの魅力はそれだけにはまったく収まりきらないのです。

たとえば、エレクトリック・ピアノ(以下エレピ)。もうこれだけで「エヴァンスがエレピ!?」と思う人もいるのではないでしょうか。前述の定説の「ピアノ」の前にはいずれも「アコースティック」という言葉が言外にあります。しかし、エヴァンスが活動していたのはエレクトリック・ジャズ黎明期からフュージョンにいたる時代でもあったのです。ジャズの大変革期ですね。

ジャズの世界でエレピが使われたのは、1966年録音、キャノンボール・アダレイのソウル・ヒット「マーシー・マーシー・マーシー」が最初期と思われます(エレピはウーリッツァー社のもの)。また、マイルス・デイヴィスがエレピを導入したのは68年でした。そしてエヴァンス初のエレピ演奏作品は、69年から70年にかけて録音された『フロム・レフト・トゥ・ライト』です。エヴァンスが使用したエレピは、当時フェンダー社から発売されていた「ローズ」という機種で、エヴァンスは自ら開発者のハロルド・ローズ氏に電話をし、楽器の手配を依頼したそうです。流行に乗ったという時期ではありません。「新しいエレクトリック楽器を、自らの意志でいち早く導入を試みた」というだけでも定説のイメージは変わりませんか? しかも当時のエレピには、ロック的エレクトリック・サウンドに埋もれない大音量楽器という側面もありましたが、エヴァンスの『フロム・レフト・トゥ・ライト』は「ウィズ・ストリングス」なのです。ですから使い方はまったく逆で、アコースティック・サウンドの中にエレピの音色を取り込んだのですね。エヴァンスは「アコースティック・ピアノ・トリオの求道者」である一方、積極的に「新しいサウンド」も求めていたのです。

(1)ビル・エヴァンス『フロム・レフト・トゥ・ライト』(MGM) 演奏:ビル・エヴァンス(ピアノ、エレクトリック・ピアノ)、サム・ブラウン(ギター)、エディ・ゴメス(ベース)、ジョン・ビール(エレクトリック・ベース)、マーティ・モレル(ドラムス)、ミッキー・レナード(編曲、指揮)、ストリングス 録音:1969~70年

(1)ビル・エヴァンス『フロム・レフト・トゥ・ライト』(MGM)
演奏:ビル・エヴァンス(ピアノ、エレクトリック・ピアノ)、サム・ブラウン(ギター)、エディ・ゴメス(ベース)、ジョン・ビール(エレクトリック・ベース)、マーティ・モレル(ドラムス)、ミッキー・レナード(編曲、指揮)、ストリングス
録音:1969~70年
「エヴァンスはアコースティック・ピアノ」というイメージに縛られてなのか、エヴァンスのベスト10に入れられるようなことはあまりないですが、これはエヴァンスの、気合いの入った意欲作なのです。エレピにもエヴァンスの「リリシズム」は溢れています。

さらに、エヴァンスのエレピの使用は、それ以降ほぼ生涯に渡るものだったのです。
エレピが聴けるアルバムを列挙しましょう。いずれもエヴァンスの生前に発表されたものです。

『フロム・レフト・トゥ・ライト』(MGM/1969~70年録音)
『ザ・ビル・エヴァンス・アルバム』(コロンビア/71年録音)
『シンバイオシス』(MPS/74年録音)
『インチュイション』〈エディ・ゴメスとの共作〉(ファンタジー/74年録音)
『モントルーIII』(同上/75年録音)
『未知との対話—独白・対話・そして鼎談』(同上/78年録音)
『ウィ・ウィル・ミート・アゲイン』(同上/79年録音)

『モントルーIII』はなんとライヴです。このほかにも、エヴァンスのエレピ演奏は『ユー・マスト・ビリーヴ・イン・スプリング』(ワーナー・ブラザーズ/77年録音)のCDボーナス・トラックや未発表集アルバムで多くの音源を聴くことができます。「えー?!」という声が聞こえてきそうですが、エヴァンスにとってエレピ演奏は珍しいものではないどころか、「よく使う楽器」なのです。

なお、これだけたくさんのエレピ演奏を残していながら、エヴァンスの生涯を描いたドキュメンタリー映画『タイム・リメンバード』では、エレピについてはひと言も触れられていません。この映画で先の「定説」はさらに強固に印象づけられましたが、それによりエヴァンスの、語られるべきほかの魅力がどんどん隅に追いやられてしまうのは残念でなりません。次回も「定説」の陰に隠れたエヴァンスの魅力をさらに紹介していきます。

(2)ビル・エヴァンス&エディ・ゴメス『インチュイション』(ファンタジー) 演奏:ビル・エヴァンス(ピアノ、エレクトリック・ピアノ)、エディ・ゴメス(ベース) 録音:1974年11月7~10日

(2)ビル・エヴァンス&エディ・ゴメス『インチュイション』(ファンタジー)
演奏:ビル・エヴァンス(ピアノ、エレクトリック・ピアノ)、エディ・ゴメス(ベース)
録音:1974年11月7~10日
ベースとのデュオでスタンダードを中心に演奏。ここまでなら「定説」の範疇。ただしエレピも併用、となれば「異色作」と呼ばれてしまう。まあ、このアルバムではエレピにエフェクターを使用して音が左右に飛び回ったりしているので、ほんとうの異色作といえるのですが、じつはこれがエヴァンスの本音だったと想像してみるのも面白いかも。相棒のエディ・ゴメスがのちにチック・コリアと組んだのは、これがきっかけだったと妄想してみたり。

文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。先般、電子書籍『プレイリスト・ウィズ・ライナーノーツ001/マイルス・デイヴィス絶対名曲20 』(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz/)を上梓した。編集者としては、『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『小川隆夫著/伝説のライヴ・イン・ジャパン』、『村井康司著/あなたの聴き方を変えるジャズ史』(ともにシンコーミュージックエンタテイメント)などを手がける。

 

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