2人と1匹の介護
君江さんが再び倒れたのは、翌年のこと。2回目の脳梗塞は重篤だった。両手足がマヒし、自分では動けない。食べものを飲み込むこともできない。言葉も出なかった。加えて、糖尿病により腎臓の機能も衰えていたので透析も必要になったのだ。
君江さんの入院は3か月に及んだ。懸命なリハビリでようやく退院できたものの、自宅に戻っても言語障害が残った。相手の言うことは理解できていても、言葉が出てこない。そのためか、感情のコントロールも難しくなった。明るかった君江さんが怒りやすくなり、健司さんに当たった。気分が沈んで泣き出すこともあった。また自立歩行ができないので、室内では歩行器、外では車いすが必要になった。起き上がるにも介助は不可欠で、要介護4と認定された。そのうえ糖尿病による食事制限があり、治療食も必要になったのだ。
介護をする健司さんの負担は、一気に重くなった。そのうえ母親は認知症の症状が顕著になっている。老いて介護の必要になった愛犬も抱え、健司さん一人で「2人と1匹」の介護を担うことになったのだ。
そんな健司さんを支えるため、担当のケアマネジャーを中心に「金澤家の在宅介護チーム」が組まれた。ヘルパーは週4回、君江さんの入浴介助など身体介護を中心に行う。訪問看護士が君江さんの体調管理をするとともに、訪問リハビリでは言語聴覚士と理学療法士が入ってリハビリを行うことになった。
それでも男一人で「2人と1匹」の介護と家事は想像以上に大変だったという。
「ちょうどお隣に似たような境遇の奥さんがいるんです。ご主人が認知症、その妹さんが若年性認知症。ご主人のお母さんは施設に入っていて寝たきりと、三人の介護をしていらっしゃる。よく二人で慰めあっていました。時には泣いたりしてね。大変なときのストレス発散は大事だと思います。私の場合は、妻が寝てから一人で飲みに行きます。ときには友人を誘うこともあるけど、ほとんどは一人だね」
ところが、それからほどなくして、同居していた母親がデイサービス中に心筋梗塞を発症。一命はとりとめたものの、長い入院生活を送ることになった。
「デイサービスで、しばらく様子を見ようということで、病院への搬送が遅れたようです。今さら言ってもしょうがないですが、すぐに救急車を呼んでくれていれば軽くてすんだかもしれない。母の入院中は2日おきに見舞いに行きましたが、正直なところ、母が入院してくれて私は楽になった。母は私の大変さを理解してくれていたようで、亡くなる前に『ありがとう』と伝えてくれました」
健司さんの言葉は終始淡々としている。次々に家族を襲う病気を嘆いたり、誰かを恨んだりすることもない。それがあきらめなのか、受容なのか、健司さんにもわからない。
母は半年後、病院で亡くなった。その後、愛犬も母親の後を追うように亡くなった。
「犬が一番手がかからずに逝きました。“三婆”を抱えて大変だ、なんてよく冗談で言っていましたが、あっという間に君江だけになってしまった」
“三婆”を介護する生活から、君江さんと二人だけの生活になった健司さんは、2回目の決断をすることになる。
【その2に続きます】
取材・文/坂口鈴香
終の棲家や高齢の親と家族の関係などに関する記事を中心に執筆する“終活ライター”。訪問した施設は100か所以上。20年ほど前に親を呼び寄せ、母を見送った経験から、人生の終末期や家族の思いなどについて探求している。