取材・文/坂口鈴香
東京に住む中澤真理さん(仮名・54)は、一人娘。大学入学とともに親元を離れ、以来九州で暮らす父要さん(仮名・96歳)、母富代さん(仮名・90)のもとには盆と正月くらいしか帰省しない生活を送っていた。
要さんが80歳になる直前、脊柱管狭窄症で歩行が困難になったが、手術を決断。他人の手を借りるのがイヤだという頑固な性格が幸いし、見事に回復した。こうして両親は、80代になっても自立した二人暮らしを続けていたのだった。
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■90歳になった父に異変が
元気だった両親に、本格的な老いが訪れたのは、要さんが90歳になった年のことだった。
「父はそのころ不眠に悩んでいたようです。睡眠導入剤をもらうのはいいのですが、眼科に行っても、整形外科に行っても『眠れない』と訴えて、睡眠導入剤をもらってきていました。そのうえモノを捨てられない戦中派の人なので、あちこちでもらってきた薬をため込んでいたんです。おくすり手帳も持っていませんでした。だから、薬の飲み合わせが悪かったのか、重複して飲んでいたのかわかりませんが、母から『お父さんが夜中におかしくなっている』という連絡がたびたび来るようになりました」
夜中に「ガタン」と大きな音がして、富代さんが居間に行ってみると、要さんがテーブルに乗って電球を取り換えようとしていた。その姿が「夢遊病者のよう」だったと富代さんは訴えた。
そんなことが何回か続き、心配した中澤さんは実家に駆けつけた。するとその夜、今度は風呂場で大きな音がした。
中澤さんと富代さんが風呂場に行くと、要さんが裸で洗い場に座っていたという。大きな音は、勢いよく尻もちをついた音だったのだ。
要さんの背中には、10年ほど前に脊柱管狭窄症の手術で入れたボルトが入っている。慌てて救急車を呼び、そのまま要さんは入院した。
「父の全身を検査してもらいました。脳ドッグまでやったんですが、どこにも異常はありませんでした。それで睡眠薬をたくさん飲んでいたことが判明したんです」
■心労で母も倒れる
要さんを入院させてホッとする間もなく、今度は富代さんが倒れた。
「父の異常行動が続いていて、ずっと母はゆっくり眠れず、神経をすり減らしていたんでしょう。私が帰ってくるまで気を張り詰めていたのか、帰ったとたん寝込んでしまいました。入院はしなかったものの、高血圧で心臓も弱っていて、メニエール病によるめまいもひどかったです」
中澤さんは折よく、遅い夏休みを取っていて、富代さんが寝込んでいる間そばについていることができた。
富代さんがようやく起き上がれるようになると、中澤さんは東京に戻った。そして翌週末にはまた実家に向かった。
「遅ればせながら、両親が倒れたことで、ようやくこれからの二人の生活をどうするか、母とじっくり話すことができました」
富代さんの言葉に、中澤さんは自分を激しく責めることになる。
「なんでこれまで気がつかなかったんだろう」と――
【親の終の棲家をどう選ぶ?|遠距離介護のために仕事を辞めた一人娘に続きます】
取材・文/坂口鈴香
終の棲家や高齢の親と家族の関係などに関する記事を中心に執筆する“終活ライター”。訪問した施設は100か所以上。20年ほど前に親を呼び寄せ、母を見送った経験から、人生の終末期や家族の思いなどについて探求している。