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信長・秀吉・家康・光秀 四武将そろい踏みの「金ヶ崎の退き口」。舞台となった金ヶ崎城に秘められた歴史があった

明智光秀が初めて主人公となる大河ドラマ『麒麟がくる』の放映で、光秀ゆかりの地が注目を集めている。その中で、信長、秀吉、家康の「三英傑」と光秀が一堂に会したのが越前・金ケ崎城(福井県敦賀市)。古代から交通・物流の中心として栄え、多くの合戦の舞台となった山城だ。地元・敦賀市教委の学芸員・奥村香子氏がリポートする。

* * *

「金ヶ崎の戦い」「金ヶ崎の退き口」といえば、越前朝倉義景を攻めた織田信長が、近江の義弟・浅井長政の離反に遭い、挟み撃ちを受けたという戦国ファンならずとも多くの人が知っている事件である。“金ヶ崎の退き口”の呼び名でピンと来なくとも、浅井長政に嫁いだ信長の妹・お市の方が両端を結んだ小豆袋を届けて挟み撃ちを知らせた、というエピソードを聞けば「それか!」と膝を打つ人も多いのではないだろうか。

この逸話は創作とされているが、大河ドラマや時代小説、漫画などでもたびたび取り上げられる有名なお話だ。

「金ヶ崎の退き口」では、今年の大河ドラマ『麒麟が来る』の主人公・明智光秀も信長についてこの城に入っている。光秀は美濃を出たのち足利義昭に仕えるまでの間、越前の朝倉義景を頼ったとも言われているが、もしドラマでこの説が採用されたなら、金ケ崎城はまさに浪人時代に恩を受けた朝倉氏を攻めるというドラマチックな場面となるだろう。

この逸話に比べると、舞台となった金ヶ崎城の知名度は残念ながら低い。仕事柄様々な方をご案内する機会があるが、「これがかの有名な…」と説明すると、皆一同に「敦賀にあるのですか!」と驚かれる。金ヶ崎城が一体どこにある、どんな城なのかも知らないという方が大勢なのかもしれない。

金ヶ崎城は、福井県敦賀市にある国指定史跡だ。

福井県自体の知名度が低いので補足しておくと、敦賀市の位置は琵琶湖の真北、日本海に面した港町である。周囲をぐるりと山に囲まれたリアス式海岸をもつ敦賀湾の最奥に小さな平野があり、そこに港がある。この港が古くから日本海の海運と琵琶湖の水運を利用した京や大坂への物資輸送の重要な中継拠点となっていた。

金ヶ崎城はその港に突き出した尾根の上に築かれている。古くは源平の戦いの舞台ともなった記録が残っているほか、南北朝の戦いの際には、ここに後醍醐天皇の二人の皇子、尊良親王・恒良親王が新田義貞とともに立て籠もり足利軍と戦った。

敦賀をおさえるということは港とともに、日本海と琵琶湖を結ぶ物流ルートをおさえるということであり、また越路の起点を抑えるということでもある。
その重要性に鑑みて朝倉氏は敦賀については一族の中から郡司を任命し、その支配にあたらせている。名将と名高く茶人としても有名な朝倉宗滴も敦賀郡司だ。
金ヶ崎城はその拠点としての重要な位置を占めた城であったといえるだろう。
城跡に上ると敦賀湾と平野を一望できる。周辺は海に囲まれた断崖絶壁で守りも固く、城を構えるにはぴったりの立地だ。

金ヶ崎城全景 現在は周囲が埋め立てられているが往時は海に突き出た岬だった。

金ヶ崎城全景 現在は周囲が埋め立てられているが往時は海に突き出た岬だった。

ところが、ここまで筆者が強調してきた敦賀の、そして金ヶ崎城の拠点としての重要性に全く相反するかのように、城の構造自体は驚くほど簡素である。過去に発掘等の詳細調査が行なわれていないため、金ヶ崎城の詳細は依然として不明なところが多いが、測量調査などによっておおよその縄張りはわかっている。

それをみると、尾根を大きく断ち切る堀切が数か所設けてあるほかは、ほとんど防御のための構造物がない。せいぜい数条の畝状竪堀が「焼米出土地」と呼ばれている平坦地の脇に掘られているくらいである。

山城ファンが喜びそうな石垣も土塁も虎口もなく、なんなら兵士が詰めるはずの廓でさえ平坦に造成されることもなく自然の尾根そのままといった雰囲気なのである。

同じ敦賀の山城でも、柴田勝家が近江国との境に築いた玄蕃尾城(げんばおじょう/こちらも国史跡)が大規模な土塁や堀を設けて立派な構えをしているのとは対照的だ。

今回『サライ』連載「半島をゆく」の取材でご案内させていただいた安部龍太郎氏と藤田達生氏は当然すぐお気づきになられたが、こんな状況なので山城に詳しい方以外は訪れてもそこに山城遺構が残っていることにさえ気づかないくらいである。

金ヶ崎城の縄張。尾根沿いに廓を設け、その間を堀(「城戸」)で断ち切っている。

金ヶ崎城の縄張。尾根沿いに廓を設け、その間を堀(「城戸」)で断ち切っている。

このように書くと、金ヶ崎城がまるで訪れるに値しないかの様な印象を与えかねないので、フォローしておくと、城郭遺構が少なくシンプル、とはいえ要所要所に設けられた堀切は大きく見ごたえがあり、港を一望できる眺望も、なかなかに急な階段の続く遊歩道も港を抑える天然の要害としての金ヶ崎城の重要性を充分に今に伝えてくれている。市街地に隣接し、周辺に観光施設も多く、さらに公園として整備されているので歩きやすい。歴史散歩にはもってこいの場所なので、ぜひとも現地を訪れていただきたい。

●「聖地」の城塞化をためらった朝倉氏

金ヶ崎は天筒山(てづつやま)という標高約171mの小高い山と尾根続きでつながっており、こちらの天筒山にも城が築かれていたと言われている。元亀元年に信長が越前に侵攻した際、敦賀郡司朝倉景恒は金ヶ崎城に立てこもった。
しかし、尾根続きの位置にある天筒山城を落とされると景恒は降伏、金ヶ崎城は無血開城となった。この天筒山城も金ヶ崎城と同じく、いやそれ以上に山城らしさが全くない。調べても調べてもどうにも山城らしき遺構がないのだ。

こちらは測量だけでなく、一部発掘調査も行なっているが、調査員が当初山城の遺構だと思っていたものは古墳や経塚であった。つまり、中世に山城が作られた時にはそうした過去の人間が行った土地改変をそのまま廓として活用していたとみられるのである。

金ヶ崎城の方でも古墳や経塚が見つかっているので似たような状況だが、こちらのほうが堀切などまだ手が入っているともいえる。ただ、「太平記」の記述を見ると「城戸」すなわち尾根を断つ堀切は南北朝時代にすでに構築されていたと読むことができるので、戦国時代に入って朝倉氏が金ヶ崎城に手を入れたことが明らかな痕跡は少ない。

金ヶ崎城が最初に記録に現れるのは養和元年(1181)、そして朝倉氏が滅亡しその後の敦賀領主も金ヶ崎城跡を使わなくなったとみられるのが天正年間。その間約400年の間築城技術自体は当然ながら進歩している。

ところが金ヶ崎城にはほとんど土地改変の痕跡がない。実は南北朝の戦いでも、金ヶ崎城は天筒山城から順に攻め落とされていて、朝倉氏はいわば新田義貞と同じ轍を踏んでいるのであるが、なぜ朝倉氏は金ヶ崎城をそして天筒山城をより強固な城に改造しなかったのであろうか。

「焼米出土地」の脇にある畝状竪堀 朝倉時代のものわかる数少ない遺構の一つ。

「焼米出土地」の脇にある畝状竪堀 朝倉時代のものわかる数少ない遺構の一つ。

これについては、立地自体が天然の要害であったために大規模改造の必要性を感じていなかった、とか、真の防衛戦線はより越前側(木ノ目峠付近?)においていた、とか様々な解釈が可能であろうが、筆者は“氣比社”の存在が大きな理由の一つだったのではないかと考えている。

氣比社(現在は氣比神宮)は、天筒山のふもとに鎮座する。越前一の宮・北陸道総鎮守の社格を誇る古社で、その歴史は有史以前にさかのぼると言われている。

古代~中世にかけて敦賀の支配権は実質的に氣比社が持っていたと考えられており、南北朝の戦いでは事実、南朝軍を金ヶ崎籠城へといざなっているのは氣比社の大宮司・気比氏治だ。

なぜ氣比社が重要かというと、『サライ』本編でもご紹介いただいているが、氣比社の主祭神・伊奢沙別命(いざさわけのみこと)が降臨したとされるのが天筒山、つまり天筒山~金ケ崎に至る峰は、氣比の大神の聖なる御山なのである。

氣比神宮中鳥居の向こうに見える天筒山 その先に金ヶ崎がつらなる

氣比神宮中鳥居の向こうに見える天筒山 その先に金ヶ崎がつらなる

天筒山だけではなく、氣比神宮の背後に位置する敦賀平野東部の山間には、氣比社の神官家の墓地や関連寺院があるほか、11世紀~12世紀にかけて数多くの経塚が築かれていて、氣比社の活動との関連が指摘されている。
これはあくまで筆者の推察だが、戦国期の敦賀を実効支配していた朝倉氏も、古来この地に鎮座し力を持っていた氣比社にとっての聖地をむやみに掘り返し、造成し、改変するような山城整備はできなかったのではないだろうか。

神仏をも恐れぬ信長は、越前侵攻とともに氣比社も焼き払い、神領も没収するなどしており、金ヶ崎城についても多数の職人を派遣させて増改築を試みたという。しかし、そこで浅井の離反が判明し撤退せざるを得なかったことで、金ヶ崎城改修計画は幻に終わった。

朝倉氏を滅ぼした後、信長は敦賀の地を武藤舜秀(きよひで)に与えているが、舜秀は金ヶ崎城を使わず、湾を挟んで対面の花城山城に居したとされている。秀吉政権期には港付近に平城の「敦賀城」が築かれた。「金ヶ崎の退き口」以降、二度と金ヶ崎城が歴史の舞台に登場することはなかった。

金ケ崎城跡から敦賀湾を望む。『サライ』連載「半島をゆく」取材時。左・歴史作家の安部龍太郎氏、中央が筆者、右は『明智光秀伝 本能寺の変に至る派閥力学』著者の藤田達生氏。

金ケ崎城跡から敦賀湾を望む。『サライ』連載「半島をゆく」取材時。左・歴史作家の安部龍太郎氏、中央が筆者、右は『明智光秀伝 本能寺の変に至る派閥力学』著者の藤田達生氏。

文/奥村 香子(敦賀市文化振興課)

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