『麒麟がくる』で眞島秀和演じる細川藤孝は、戦国時代きっての文武両道エリートして知られる。さばかりか、室町幕府奉公衆として仕えながら、戦国の荒波を巧みに乗り越えて、子孫は、肥後熊本藩54万石の大大名として家名を伝えた。昭和・平成期には第18代当主・護熙が参院議員、熊本県知事を経て衆院議員に転じて、内閣総理大臣に就任している。藤孝から始まる細川家の華麗な足跡を辿る。

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細川藤孝(後の幽斎)は、藤原定家の歌道を受け継ぐ二条流歌道伝承者・三条西実枝(さんじょうにし・さねき)から歌道の奥義である〈古今伝授〉を受けた。古今和歌集の解釈を師から弟子へと秘伝として伝えられたもので、藤孝の才能の高さがわかる。

光秀と藤孝が出会った〈戦国青春グラフィティ〉の一コマ。

一方で、塚原卜伝から剣術を学んだ剣の達人としても知られる。室町幕府13代将軍足利義輝とは剣の同門である。弓術や蹴鞠などにも長けた万能エリートだった。

明智光秀とは、光秀息女の玉(後のガラシャ)を嫡男・忠興に嫁がせるなど、親しい存在だった。本能寺の変後に、光秀は足利義昭を京に迎え、室町幕府を再興したうえで、藤孝嫡男の忠興を管領につけようと画策していたとも伝えられる。それだけ、光秀から頼みにされていたにもかかわらず、藤孝は出家してしまい、光秀の前から姿を消す。
〈秀吉にリークしたのは藤孝?〉という説も根強い。

●文武両道の気質は子孫に継承

藤孝の嫡男・忠興は、〈利休七哲〉のひとりに数えられる茶人大名。医道への造詣が深く自ら薬を調剤したという。忠興三男で初代熊本藩主の座についた細川忠利は、小倉藩主時代に国産ワインの醸造に挑戦したことがわかっている。

細川家の膨大な古文書群を丹念に調査している熊本大学永青文庫研究センターによって近年明らかにされたもので、キリスト教が禁教となるまで、忠利はワイン作りに執心していたという。忠利の母は、光秀息女ガラシャなので、光秀の孫が国産ワイン醸造に励んでいたと考えると面白い。

忠利以降の熊本藩主も相撲を後援した綱利、蘭癖大名とあだ名された重賢などが出た。
明治に入ってからは、日本美術刀剣保存協会初代会長・細川護立が有名だ。「美術の殿様」と呼ばれ、目利きとして知られる白洲正子は、護立の家にも足しげく通い、古美術について学んだといわれる。発足時の『白樺』同人で、志賀直哉や武者小路実篤らのパトロンとしても知られる。護立の子・護貞は、戦前の近衛文麿内閣で首相秘書官を務めた。息子・護熙の政界入りには反対の立場をとった。1993年に自民党政権を倒して首相に就任した護熙は、陶芸家として活躍する一方で、世界遺産・薬師寺(奈良市)の襖絵を手がけるなど、藤孝以来の文化人としての血脈を今に伝えている。

『麒麟がくる』で展開されている、細川藤孝、三淵藤英、松永久秀、明智光秀らの〈戦国青春グラフィティ〉で、後世まで家名を伝えたのは藤孝のみである。

細川家第18代当主、首相も務めた護熙氏。

細川家第18代当主、首相も務めた護熙氏。

文/一乗谷かおり

 

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