今回の『麒麟がくる』では描かれませんでしたが、「山崎合戦」まで見たかった、という方も多いのではないでしょうか。そこで、サライ.jpでは、明智光秀の人生の明暗を分けることになった、山崎合戦の地を訪れましたので、今も残る史跡をご紹介いたします。
戦国時代のファンの方は既に訪れた方も多いことでしょう。サライ.jpが皆様に代わって動画でレポートをいたしますので、現地の臨場感をお楽しみください。
■山崎合戦古戦場を歩く
今回は、天王山、大山崎の地を訪ねてみました。1582年、明智光秀と羽柴秀吉の一戦は、世に「天王山の戦い」といわれ、この山の名を広く有名なものにしました。ただし、天王山が戦場になった事実はなく、山崎の合戦自体は、東山麓で繰り広げられたと伝えられています。
天王山の占有が雌雄を決したと伝えられていることから、「天王山」という言葉は、今でも勝敗や運命の重大な分かれ目で使われています。
光秀の足跡の残る天王山・大山崎の地を取材しておりますので、動画でご覧ください。
大山崎は、摂津国(大阪府)と山城国(京都府)の境にあります。京都縦貫道の高架下にある天王山夢ほたる公園に「天下分け目の天王山 山崎合戦古戦場」の石碑が建っています。天王山の麓に流れていた円明寺川(現・小泉川)を挟んだ一帯が戦いの場だったようです。
戦闘の詳細については専門家の解説にお譲りし、ここでは割愛しますが、戦は短時間で終わり、秀吉軍が大軍の利を生かして勝利しました。
■山崎の合戦、光秀の陣はどこに?
山崎の合戦において、光秀が本陣とした御坊塚がどこにあったかはまだはっきりとしていません。その名から、古墳を利用したものであったと推定され、恵解山(いげのやま)古墳と境野(さかいの)一号墳が候補に上がっています。恵解山古墳には、当時の銃弾の跡が残されているのが特徴です。
***
天王山は現在、ハイキングコースとして整備されており、山頂までは1時間ほどの道のりです。「山崎の合戦」を伝える、立派な陶板が各所に解説とともに設置されていますので、上り坂も苦ではないでしょう。往時を偲ばせる史跡を巡りながら、戦国武将になった気持ちで歩を進めてみてはいかがでしょうか。
■アクセス情報
「天王山」
住所:京都府乙訓郡大山崎町字大山崎小字古城
JR「山崎」下車、徒歩約60分(山頂まで)
「恵解山古墳」
住所:京都府長岡京市勝竜寺久貝2丁目
JR「長岡京」下車、徒歩約17分
「境野一号墳」
住所:京都府大山崎町下植野宮脇1-107
阪急「西山天王山」下車、徒歩約20分
取材・文・動画撮影/京都メディアライン
HP:http://kyotomedialine.com
Facebook:https://www.facebook.com/kyotomedialine/