犬と呼ばれた男・諸葛誕

三国それぞれにつかえた諸葛一族を評して、「世説新語」という逸話集に、次のような一節がある。「蜀はその龍を得、呉はその虎を得、魏はその狗(いぬ)を得た」。龍は孔明、虎はその兄・瑾、そして犬と呼ばれたのが、諸葛誕(?~258)である。同書では孔明たちの従弟とあるが、これには確証がない。とはいえ、同族であったことはまちがいないようだ。はたして彼は、まことに「犬」だったのだろうか。

諸葛誕ははじめ官僚として魏につかえたが、二代皇帝の明帝から不興をこうむり、免職されてしまう。が、ほどなく帝が没したため、もとの地位に返り咲いた。のみならず、敵国・呉と向き合う要衝である揚州の刺史(長官)に任ぜられる。あるいは誕本人の能力が評価されたとともに、呉にいる諸葛一族との人脈を期待されたのかもしれない。

折しも魏国内では、孔明の好敵手だった司馬懿(しばい)一族の力が強まっていた。不幸だったのは、諸葛誕が反司馬氏と目される人々と親しかったことである。誕自身には司馬一族と敵対する意志はなかったようだが、次々と知人・友人が粛清されてゆくなかで不安をつのらせていったことは、たやすく想像できる。おびえて配下の軍勢を増強しようとしたことがかえって司馬一族の疑念を招き、首都・洛陽への召還が命じられた。もどれば殺されるのではないかとおそれた誕は、ついに反乱の旗をあげる。が、司馬昭(司馬懿の次男。三国を統一した司馬炎の父)の猛攻を受けてあえなく落命した。このとき、配下の兵士たちが降伏の勧告を頑強にこばんで戦死したというから、人望のある将だったと見ていいだろう。犬と評されたのは孔明兄弟の引き立て役にまわったかたちで、いささか気の毒というほかない。

生きつづける諸葛一族

誕の子・せい(「青」の旧字体に「見」)は父が反乱を起こした際、援軍と引き換えに人質として呉へおもむき、生きながらえた。三国を統一した司馬炎とは昔なじみでもあり、出仕を要請されたものの父の仇に仕えるのをよしとせず、無官のまま没する。

その子が諸葛恢(かい。284~345)。誕の孫ということになる。魏を簒奪(さんだつ)し、280年に呉を滅ぼして天下を統一した晋の衰亡ははやく、311年には異民族・匈奴(きょうど)の攻撃によって首都が陥落する。長江をわたって南へ移住した人々が、皇族のひとりをたてて亡命政権を樹立した。統一王朝を西晋、この亡命王朝を東晋という。

諸葛恢は東晋につかえたが、すぐれた人物だったようで、尚書令(しょうしょれい)という高位にまでのぼった。祖父や父の不遇をいっきに挽回したかたちといえる。

諸葛恢の代まで下ると、孔明たちが活躍したころからゆうに100年を経ている。現代のわれわれが日露戦争や第一次世界大戦を思いうかべるほどの距離感というところだろう。むろん、三国志の英雄たちは一人も残っていなかった。それだけの時を経ても、脈々と受け継がれる諸葛一族の血脈に、たぐいまれな力強さと運命の数奇を思わずにはいられない。

文/砂原浩太朗(すなはら・こうたろう)
小説家。1969年生まれ、兵庫県神戸市出身。早稲田大学第一文学部卒業。出版社勤務を経て、フリーのライター・編集・校正者に。2016年、「いのちがけ」で第2回「決戦!小説大賞」を受賞。著書に受賞作を第一章とする長編『いのちがけ 加賀百万石の礎』、共著『決戦!桶狭間』、『決戦!設楽原(したらがはら)』(いずれも講談社)がある。

『いのちがけ 加賀百万石の礎』(砂原浩太朗著、講談社)

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