文/砂原浩太朗(小説家)

曹操とその一族~妻たち、息子たち【中国歴史夜話3】

諸葛孔明とならんで三国志を代表するのは、曹操(155~220)以外にない。小説化された「三国志演義」では悪役として描かれているが、政治家・武将としてすぐれ、詩人でもあるという懐の広さを持った人物なのだ。今世紀にはいって、その墓陵が発掘されたニュースをご記憶の方も多いだろう。彼自身に関しては、これまでも多くの書物が著されているが、本稿では比較的語られることの少ないその妻や子について記してみたい。

曹操を責めつづけた最初の妻

曹操は漢の初代皇帝・劉邦とおなじ、沛(はい)国(安徽省)の出身。祖父は権勢を誇った宦官(かんがん。去勢された廷臣)で、父が養子となって跡を継いだ。漢王朝創業の功臣につながる家柄であり、若くして首都・洛陽の治安をつかさどる任につく。これを振り出しに群雄のなかから頭角をあらわし、ついには三国のなかでも最大の強国・魏を築くこととなる。

さて、曹操の正妻は丁(てい)氏という名が伝わっているのみで、はっきりした出自は不明である。彼の家柄からしてそれほど遅い結婚ではなかったろうから、故郷を同じくする名家の子女というところではないだろうか。曹操の子・曹植(後述)のブレーンに丁儀(ていぎ)という人物がおり、やはり沛の出身である。その父と曹操は親しかったというし、丁儀も曹操の娘と結婚話があった。推測でしかないが、この一族の出身という可能性はあるだろう。

丁氏は子にめぐまれず、側室が生んだ長男・曹昂(そうこう)を引きとり、手もとで育てていた。が、西暦197年、南陽(河南省)の張繍(ちょうしゅう)を相手とするいくさで曹操が敗北、昂も戦死してしまう。悲嘆にくれた丁氏は夫をつよく責めつづけ、故郷へもどされた。時を経て彼女を迎えにいった曹操だが、丁氏は機(はた)を織りつづけるだけでひとことも発せず、ついに離縁されたという。

歌妓出身だった王后・卞氏

かわって正妻の座についたのが、卞(べん)氏。この時代の女性としては稀有なことに生年の記録があり、曹操より5歳年下である。もとは歌妓だというから酒席などで見初められたのだろう。側室になったのは20歳のときで、黄巾の乱(184)以前ということになる。丁氏は身分の低い彼女を粗略にあつかっていたが、卞氏は正妻となったあとも仕返しをすることはなかった。どころか、四季折々に丁氏へ贈り物をとどけ、対面する機会にはつねに上座へつかせたという。この配慮がかたちだけのものでなかった証に、丁氏が亡くなった折は曹操に願い出て手厚く葬っている。

彼女の聡明さをあらわすエピソードはいくつか残っているが、筆者が惹かれるのは次のような話である。卞氏は質素な女性だったが、曹操から贈り物を受けとるときは、いつも中程度の品を選んだ。そのわけを聞かれると、「上等のものを取ると欲が深いと思われますし、下のものを取ればわざとらしいと見られるからです」と応えたという。機微を心得てみごとというほかなく、ついに王后(魏王・曹操の妻)の位へ就いたのもむべなるかなという気がする。

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