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文/砂原浩太朗(小説家)

横浜中華街の関帝廟

横浜中華街の関帝廟

「同年同月同日に生まれることは叶わなかったが、同年同月同日に死のう」――三国志ファンには説明不要、劉備、関羽、張飛がかわした「桃園の誓い」だ。黄巾の乱(184)で騒然となった世を憂える3人の好漢が、王室をたすけ民を安んずるため挙兵を決意、桃畑で義兄弟の契りをむすぶ。むろん、小説「三国志演義」による脚色なのだが、こうした誓いもあったろうと思わせるほど、劉備主従のむすびつきはつよい。本稿では、この「3兄弟」のなかでも、とくに武人として人気の高い関羽(?~219)をとりあげ、実像にせまってみたい。

かたく結ばれた主従

関羽は河東郡解県(山西省)の出身だが、なにかしらの不都合あってか、故郷を出奔している。「演義」では横暴な役人を斬ったため、ということになっているが、ほんとうのところは不明である。侠客どうしの喧嘩、という線も考えられるだろうし、作家の陳舜臣は、解県が塩の産地であることから、塩の密売をしていて捕まりそうになったのではと推測している。
関羽は、現在の北京周辺まで流れ着いたところで劉備に出会い、挙兵にくわわる。張飛とともにその家臣となったが、3人はひとつ寝台で眠るほど親しい仲だった。これは結びつきの強さをあらわすときによく用いられる表現で、実際いつもそうだったという意味ではないが、主従という枠でくくれぬほど固いつながりであることは、まちがいない。

挙兵から16年を経た西暦200年、群雄のひとりとなっていた劉備は曹操と矛をまじえるが、敗れて根拠地・小沛(しょうはい。江蘇省)から逃走、行方しれずとなる。このとき、べつの城を守っていた関羽も虜となった。「演義」では、曹操配下の名将・張遼(ちょうりょう)が説得に出向き、劉備の夫人を託されたのに、ひとり討ち死にするのは心得違いなどと諭して降らせたことになっている。関羽にただ降伏してほしくないという民衆の願望が、こうしたやりとりを生んだのだろう。とはいえ、歴史上も劉備の夫人は曹軍に囚われており、これに近い交渉がおこなわれた可能性はじゅうぶんにある。

去るも男、去らせるも男

関羽の武勇に惚れこんでいた曹操は、官位をさずけるなどの厚遇をあたえ、なんとか家臣にくわえんものと、その意向を探らせる。が、彼のこたえに、いささかも迷いはなかった。「曹公のお気もちはかたじけないが、劉将軍とはともに死のうと誓った仲ですから、裏切るなど思いもおよびません。消息がわかれば立ち去る所存です。ただ、手柄を立て、曹公のご恩へ報いたのちにしたいと思っています」。このとき使者に立ったのが張遼である。降伏時のやりとりは、この史実を踏まえたものだろう。

機会は、ほどなく訪れる。曹操最大のライバルというべき袁紹(えんしょう)とのいくさに関羽もくわわり、敵の勇将・顔良を斬って捨てたのである。「演義」では、つづいて文醜という猛将をも倒したことになっているが、これは脚色。ただし、文醜が討ち死にしたのは事実であり、詳細も記されていないから、関羽の功にあらずとまでは言いきれない。このあたり、「演義」のアレンジはまことに冴えわたっている。

劉備の消息が判明し、関羽はたまわった恩賞に封をして去る。曹操もまた、その志を重んじ、追おうとはしなかった。現実とは思えぬほどドラマチックな展開だが、はっきりと正史に記されているエピソードなのである。

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