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秦の始皇帝~暴君か英雄か【中国歴史夜話 9】

文/砂原浩太朗(小説家)

兵馬俑

兵馬俑

秦の始皇帝(前259~210)を知らぬひとは日本でもすくない。万里の長城や兵馬俑(よう)など、彼にまつわる遺物は現在でも目にすることができる(現存の長城は後代のもの)。世界史上、屈指の著名人といっても大げさではないだろう。

天下をおさめていた周王室が衰退、七雄と呼ばれる諸侯がそれぞれ王を称し、しのぎを削った中国の戦国時代(前403~221)。これを統一したのが始皇帝であり、そもそも「皇帝」という称号自体、彼が考案したものである。中国を指す英語Chinaが、「秦」を語源とする一事をもってしても、存在の大きさは明らかだ。

ところが、近年は漫画や映画で取り上げられ風向きが変わりつつあるものの、彼のイメージは必ずしも芳しいものではない。後述する焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)などの影響もあり、暴君のごとき印象が根強いのだ。はたして、中国史上最初の皇帝は、まことに非道の君主だったのか。

奇貨居くべし

始皇帝の名は政(せい。正とも)という。紀元前247年、13歳で秦王の位につくが、そこにいたる道は決して平坦なものではない。彼の父・子楚(しそ)は20人以上いる子のひとりにすぎず、王位からは遠かった。が、七雄のひとつ趙へ人質に出されたことで運命がかわる。子楚はこの地で、呂不韋(りょふい)という商人に出会ったのだった。

このとき呂不韋は、「奇貨(きか)居(お)くべし」(掘り出しものだ、押さえておこう)とつぶやいたという。すぐれた人物だと思ったのか利用しやすい相手と判断したのかは分からぬが、いずれにせよ、呂不韋は彼を王太子にすべく運動を開始する。秦の有力者へはたらきかけると同時に、子楚の父が寵愛する夫人に子がないことへ目をとめた。子楚を売り込み、夫人の養子とすることに成功したのである。おかげで子楚は太子となり、父の死後、王位に就くことができた。呂不韋はこの功績で宰相に任じられたが、彼がいなければ、のちの始皇帝・政が王となれた可能性はきわめて小さいというべきだろう。

始皇帝の実父はだれか?

ところで、漢代の歴史家・司馬遷(前145?~前86?)があらわした「史記」には、呂不韋こそ政の実父だという話が紹介されている。子楚が呂不韋の愛妾を見初めたため、妊娠したまま譲り、時みちて政が生まれたというのだ。母が呂不韋の愛妾だったことは事実としても、妊娠期間は12か月に及んだというし、まず伝説と考えて間違いない。秦末の動乱を勝ち抜き天下を平定した漢の世では、始皇帝が悪く描かれがちになるのは自然な流れだった。また、つぎつぎと諸国をほろぼしたため、各地に秦への恨みがこもった伝承も残っていたと思われる。不世出の歴史家・司馬遷といえども、こうした時代の空気から無縁ではいられない。始皇帝の事跡を見るとき、このことは念頭におくべきだろう。

少年王の苦闘

政の治世は当初、順調といえるものではなかった。彼の曽祖父・昭王の在位は50年以上におよんだが、祖父と父・子楚(荘襄王=そうじょうおう)があいついで没し、13歳で王位に就いたのである。国内の混乱も想像するにあまりある。

事実、彼の治世初期は弟・成きょう(「きょう」は「虫」に「喬」)や、生母の愛人ともされる長信侯(名は「ろうあい」)の反乱に悩まされることとなった。これを鎮圧した政は、ろうあいの乱に連座したとして宰相・呂不韋を罷免、実権をその手へ握る。一代の風雲児・呂不韋は2年後、みずから命を絶つが、このとき政は25歳。苦渋に満ちた少年期はすでに終わりを告げていた。

秦は政が王位についた時点ですでに大国となっており、国内をしずめたあとは、満を持して天下統一へ踏みだす。30歳で七雄のひとつ韓を滅ぼしたのを皮切りに毎年のごとく軍をおこし、10年も経ぬうちに中国全土を統一した。このとき、みずから王にかわるあらたな称号を考案し、「皇帝」と名のる。これは伝説の聖王たち「三皇五帝」から取ったもの。中国史上、最初の皇帝だから「始皇帝」と称したわけである。

始皇帝と織田信長

始皇帝は、それまで国によってばらばらだった度量衡(どりょうこう。長さ・容積・重さの単位)や文字、車輪の幅などを統一、また各地に王をおくのでなく、中央から派遣した役人が地方政治をおこなうこととした(郡県制)。きわめて合理的で、効率を重視した改革といえる。くわえて、これは秦という国の伝統でもあるが、能力があれば他国の出身者や身分の低い者でも、ためらわず登用した。わが国の織田信長を連想するのも、筆者だけではあるまい。

また、彼の性格について以下のようなエピソードが残っているが、これもどこか信長を思わせるものである。天下統一戦の過程で、強敵・楚(そ)と兵をまじえた折のこと。60万もの大軍を託された将軍・王翦(おうせん)が、勝利したあかつきには、豪壮な邸宅をたまわりたいと政にねだった。これ自体はふしぎなことでもないが、いささか所望の度が過ぎており、快諾されたあとも、いくたびとなく無心をつづけたという。見かねてたしなめた人に向かい、王翦がこたえる。「いま私がひきいているのは、秦の全軍というべきものである。おそらく王は猜疑の目でこちらを見ているにちがいない。褒美に執着しているだけで野心などないと思っていただきたいのだ」

苦悩に満ちた少年期を送ったため、かんたんに他者を信じなくなった、というほど単純なものではないが、まったく影響がないわけでもないだろう。始皇帝という人物を考えるとき、ヒントになるエピソードではある。筆者個人は、それでも全軍をあずけた点に彼の度量を感じるし、老練というべき王翦の対応も相まって、決してきらいな挿話ではないということを付け加えておく。

焚書坑儒の真実

さて、始皇帝がおこなった政策のうち、悪名高いのは焚書坑儒だろう。書物を焼き、儒者を穴埋めにして殺すという意味であり、彼の暴君イメージを決定づけたものといっていい。

このうち焚書は、秦以外の歴史書を焼かせ、儒教などの思想書は官蔵のものにかぎり残すよう指示したもの。実用を重視した秦らしく、医学や占いに関する本(当時は竹簡や木簡)は対象外だった。国中から書物が消えたわけではないが、思想統制を目論んだことは事実である。比較的、従来のイメージに沿った政策といえるだろうか。

が、坑儒に関してはいささか事情がことなってくる。穴埋めにされたのは、世間をたぶらかすとされた方士(神仙の術を使う者)たちであり、これが儒者とすり替えられたのは漢代以降のこと。このころすでに儒教が国家の中心におかれているから、始皇帝の暴虐ぶりを強調する意図と見ていいだろう。

秦帝国は始皇帝の死後、大規模な反乱が相次ぎ、わずか数年でほろびる。あまりにも短時日にして国家が消えてしまったため、自国の歴史をじゅうぶん整備することもできなかった。秦を擁護する記録はほとんど残らず、始皇帝も暴君のごときイメージがながく伝わることとなる。が、近年は、秦代の竹簡や木札といった資料がぞくぞくと発見されている。これらの研究をもとに、あらたな始皇帝像がつくられることを心待ちにしたい。

文/砂原浩太朗(すなはら・こうたろう)
小説家。1969年生まれ、兵庫県神戸市出身。早稲田大学第一文学部卒業。出版社勤務を経て、フリーのライター・編集・校正者に。2016年、「いのちがけ」で第2回「決戦!小説大賞」を受賞。著書に受賞作を第一章とする長編『いのちがけ 加賀百万石の礎』、共著『決戦!桶狭間』、『決戦!設楽原(したらがはら)』(いずれも講談社)がある。

『いのちがけ 加賀百万石の礎』(砂原浩太朗著、講談社)

 

 

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