文/砂原浩太朗(小説家)

「始皇帝」を生んだ男たち~秦帝国、天下統一への道【中国歴史夜話 11】

暴君か英雄か評価は分かれるにしても、歴史上、秦の始皇帝(前259~210)の存在感はだれもが認めざるを得ない。なにしろ、500年以上にわたり乱れに乱れた世を統一した人物なのである。好悪はべつとして、只者であるわけもない。

だが、言うまでもなく天下統一は始皇帝ひとりの功績ではない。彼が13歳で王位に就いたとき、秦はすでに他を圧倒する強国となっていた。いわば、「始皇帝」誕生の地ならしが出来ていたのである。本稿では、秦を覇者たらしめた男たちを通じ、大帝国胎動の軌跡を追う。

法に生き、法に死す~商鞅(しょうおう)

秦はもともと中国の西北辺境に暮らす民で、おもに牧畜をおこなっていたという見方が有力である。天下をおさめた周王室が衰退、国々が争いみだれたのが春秋・戦国時代(前770~221)だが、この初期に諸侯の列へくわえられた。が、その後も他の国よりいちだん低く見られる時期がつづく。

それが一変したのは、商鞅(しょうおう。?~前338)による改革のため。衛(えい)という小国の王族出身で本名は公孫鞅というが、のち商の地をあたえられたので、こう呼ぶ。孝公(在位前361~338。この時代は、まだ王を名乗っていない)につかえ、いまだ辺境の一国にすぎなかった秦を法治国家へと変貌させた。村落をまとめて「県」という行政単位をつくり、中央から派遣した役人に治めさせる、ばらばらだった度量衡(長さ・容積・重さの単位)を統一するなど、のちに始皇帝がおこなった政策は商鞅に起源を持つものが多い。また、みずからいくどか軍功をあげ、君主の一族でも功なき者はその籍に入れないなど、きびしい統制で強国への道を志向した。

彼をめぐっては興味深いエピソードがいろいろと残っているが、ここでは代表的なものをふたつ紹介する。まずは孝公に仕官する折のこと。最初、徳をもって世を治める道を説いたもののまったく関心を持たれなかったため、日をあらため面会を願った。つぎは短時日にして強国をつくりあげる方法を披露したところ、孝公はいたく感じ入り、商鞅を信任するようになったという。なにより実利を重視する秦という国の性格がよく出た挿話だろう。

もうひとつは、彼の最期にまつわるもの。商鞅はきわめて厳格に法を用いる人物で、君主の一族や貴族でも容赦なく罰した。そのため恨みを買うことふかく、孝公が没するや、ただちに失脚、いのちを狙われる身となって逃亡する。その途次、ある宿屋に泊まろうとしたものの、断られてしまった。あわてて逃げたため置き忘れてきたのか、追われる身ゆえ出すわけにいかなかったのか、身分を証明する書類がしめせなかったのである。むろん、相手がこの国の宰相などと知るよしもないまま、宿のあるじがいう、「商鞅さまの法では、身もとがわからない者を泊めると、罰せられることになっておりますので」。
みずからつくった法によって追い詰められたかたちとなり、結局は車裂きの刑という悲惨な最期を遂げてしまう。が、彼が大国秦のいしずえを築いたのは疑う余地のないことである。

勝ちすぎた名将・白起

商鞅の改革によって強国となった秦は、昭王(在位前307~251)の世、さらなる大躍進をとげる。王は始皇帝の曽祖父にあたり、57年の長きにわたってその位にあった人物。宰相・范雎(はんしょ)による遠交近攻(遠方の国と結び、近くの国を討つ)策を採り、七雄と呼ばれる諸侯のうち斉としたしみ、楚や韓・魏・趙とあらそった。

この時代、軍事面で絶大な貢献をしたのが名将・白起(はくき。?~前257)である。たびたび諸国とのいくさで功をたてたが、司馬遷の「史記」には、「首をとること24万」「13万」「5万」「城を落とすこと61城」など、すさまじいまでの戦歴が記されている。むろん誇張も大きいだろうが、連戦連勝のいきおいだったことは間違いない。

なかでも特筆すべきは、秦の覇権を決定づけた「長平(山西省)の戦い」。趙を相手とするいくさだが、当初、秦軍は敵将・廉頗(れんぱ。「刎頸の交わり」という故事で有名な人物)の持久戦術に悩まされていた。そこで、「秦がおそれているのは、趙括(ちょうかつ)が将軍となることだ」という噂をながす。趙括は若き俊才で兵法の研究にも長けていたが、実戦の経験は少なかった。目論見があたり、廉頗にかわって趙括が派遣されてきたところで、秦側も猛将・白起を投入する。趙軍はなんなく撃破・包囲され、40万人という犠牲を出して再起不能の状態に追い込まれた。実際、のちに始皇帝が天下統一へ乗りだした折も、趙ははやばやと滅亡の憂き目を見ることとなる。

だが、戦国最大ともいうべき犠牲を出したこのいくさは、勝者である白起の心にもふかい傷を残したらしい。彼はわずか3年後、王から叛意をうたがわれ自決を命じられるが、「長平であれほどの人を殺したのだから、当然だ」といって死の座へついたという。

【始皇帝即位の立役者・呂不韋。次ページに続きます】

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