群馬県高崎市東善寺の境内に大切に保管されている1本のネジがある。一見なんの変哲もないただのネジだが、その伝来を聞けば、印象は一変する。

東善寺

「このネジは、万延元年(1860)の遣米使節として渡米した小栗上野介がアメリカから持ち帰ったものです。小栗らが、見学したワシントン海軍造船所は蒸気機関そのものや大砲、ライフル、帆、ロープ、鍋、釜、スプーンまで、何でも造る総合工場でした。アメリカは近代化という面で、もう背中も見えないほど先を走っていました。小栗は、総合工場としての造船所を作り、日本もこういう物をどんどん作れる国にしたい、とこのネジをお土産としてもらい受けたのだと思います」

こう語るのは、小栗上野介の研究者としても著名な東善寺の村上泰賢住職。

小栗がどのような思いで、アメリカからネジを持ち帰ったのかを記す史料はない。だが、帰国後の小栗の行動を見れば、日本の近代化への並々ならぬ決意があったことが伝わってくる。

アメリカ訪問時の小栗上野介(右・東善寺蔵)

大隈重信、東郷平八郎も絶賛したが…

アメリカから帰国後の小栗は外国奉行、勘定奉行を歴任しながら、精力的に日本近代化の道を突き進む。フランスから工作機械を導入し、横須賀に製鉄所(造船所)の建設を開始する。さらに株式会社兵庫商社の設立に動き、本格的なホテルである築地ホテル館の建設も推進した。幕府洋式陸軍の整備を主導したのも小栗である。

後年、首相を務めた大隈重信が、「明治の近代化はほとんど小栗上野介の構想の模倣に過ぎない」と喝破し、日本海海戦でロシアバルチック艦隊を破った連合艦隊司令長官東郷平八郎もまた、日本海海戦の勝利は小栗が横須賀製鉄所を建設したおかげと謝意を評した。東善寺に伝わる「一本のネジ」は、日本の近代化が、徳川政権の幕臣らによって強力に推進されていたことを物語る「歴史遺産」なのである。

従来、明治政府が始めた学校教育では頑迷固陋、旧態依然とされた江戸幕府だが、実際には小栗らの構想を承認し、数々の近代化を推進する度量があった。「日本の近代は、明治の夜明けをもって始まった」――。官製の歴史教育はこれまでこう教えてきた。しかし、日本の近代化はすでに徳川政権の幕臣らによって始まっていたわけだ。

毎年5月に東善寺とその周辺で催行されている「小栗まつり」。小栗上野介の偉業を振り返り、慰霊祭などが執り行なわれるまつりは令和と年号が改まった今年は5月26日に開かれた。特別講演に招かれたのは『消された徳川近代 明治日本の欺瞞』(小学館)を刊行したばかりの原田伊織氏。小栗ら幕臣が推進した近代化を「徳川近代」と評価し、明治政府によって「徳川近代」という時代はなかったことにされた、と主張する。

日本の近代化を誰よりも早く構想しながら、維新後、さしたる罪もなく新政府軍に斬首された小栗の生涯を学び、彼が構想した「近代化」を象徴する「一本のネジ」に触れる。日本の近代化とは誰が敷いたレールの上を走ったのか――。近代史を見直すいい機会になりそうだ。

小栗まつりでの慰霊祭の様子

 

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