文/原田伊織

江戸に登場した近代的なホテル「築地ホテル館」。写真提供:清水建設

幕末の江戸に突如、近代的なホテルが誕生した。完全洋室、水洗トイレも完備して、娯楽に供するビリヤード室もあったという。「築地ホテル館」と称されたホテルの立案者は日本の近代をデザインした人物として知られる小栗上野介。『小栗上野介抹殺と消された「徳川近代」~幕臣官僚がデザインしたもう一つの維新~』(小学館文庫)の著者原田伊織氏がその舞台裏に迫る。

* * *

7月3日に新札が発行され、新一万円札の肖像が渋沢栄一に変わったが、渋沢がどういう人物であったかについては実像は殆ど語られていない。渋沢に限らず、この国の歴史はすべて明治政府の書いた「官制の歴史」が敗戦後80年を迎えようとする今もなお正史としてまかり通っており、先々のビジョンを描くためにこれを正しく書き直す必要性を説き続けているが、まだ道は遠い。

さて、江戸期の最末期に位置する徳川近代、その徳川近代の最末期にひとつの華麗なホテルが登場した。築地ホテル館である。

このホテルは、慶応4(1868)年8月、築地に誕生した外国人専用ホテルである。日本で初めての本格的ホテルであり、日本人の手で建造されたものとしても初めてという施設であった。

ホテル敷地は7000坪。床面積は、

1階 本館   726坪
   別館平屋 105坪
2階      718坪
3階      45坪
4階      10坪
塔屋      3坪

床高は、1階は地盤より1.1m、4階は17.1m、塔の先端は35.7mもあった。

正面に設けられた4つの別館は、本館に泊る客の従者などが泊る施設であった。

客室は、

本館1階    37室
  2階    39室
別館4棟    26室

合計102室であった。

客室面積は、本館が16~33平方メートルで、60平方メートル超の特別室があった。別館客室は、約10平方メートルに統一されていた。

現代でも10平方メートル前後のビジネスホテル・シングルは、決して珍しくない。33平方メートルという広さは、現代の高級ホテルのツインのスタンダードに相当する。つまり、客室面積は、現代の標準的なホテルの広さと殆ど変わらないのである。

注目すべきは付帯施設であろう。

欧米の最高級のホテルに匹敵

トイレは、本館1階・2階に洋式がそれぞれ6カ所計12カ所、別館4棟には和式が2カ所。シャワー室が複数個所に設けられ、本館1階には台をふたつ置いたビリヤード室やバーが設けられていた。ビリヤード室は、この頃のアメリカのホテルには必ずといっていいほど設けられていたもので、築地ホテル館は明らかにアメリカのスタンダードを意識していたと思われるのだ。

築地ホテル館は、慶応3年8月に着工し、翌慶応4年8月に竣工した。僅か1年である。

今、鉄筋コンクリートの100室規模のホテルを建てようとすれば、届け出などの準備期間を含めれば2年はかかるとされている。列強、特に大英帝国の強い要請が背景にあり、建築の環境が異なるので単純な比較はできないが、驚異的なスピードであったことは間違いない。施行した清水屋(今の清水建設)にとっても初めての経験であったことを考えると、猶更驚異的といわざるを得ない。

慶応3年といえば、徳川近代も最末期とはいえその時は紛れもなく江戸時代である。

江戸期築地に、日本で初の100室を超える規模を誇る、日本人が経営する外国人専用ホテルが存在したのだ。そのホテルは、フランス人シェフが料理長を務める西洋料理レストラン、数多くのシャワールームや洋式トイレ、お湯を供給するための石炭ボイラー、快適な宿泊を提供するための給排水系を備えていたのである。

『New Japan』の著者サミュエル・モスマンはこのホテルに泊まり、次のように評価している。

このホテルは、欧米の最高級のホテルに匹敵する。庭園は美しく、眺望は素晴らしい。建物は長さ200尺、幅80尺で、高さ60尺の鐘塔があり、欧州なら300人を収容できる規模だが、日本式で余裕のある客室配置のため、200人にとどまる。食堂のほかにビリヤード室、接客室がある。長い廊下、ベランダもある。食事は質が高い――。

ホテルの建築を主導したのは、徳川近代という時代そのものをリードした小栗上野介忠順である。画期的なことは、民間事業者にカンパニーを作らせ、株制度によって資金を集め、ホテルを建てて経営するという手法を採用したことであろう。現代のPPP(公民連携)、PFI(民間資本等活用)のルーツといわれる所以である。更に、建築工事に当たって就業規則や給与規定を定めたことにも注目したい。

築地ホテル館――通称江戸ホテル。このホテルには徳川近代という時代のエキスが詰まっていたのである。そして、「明治の父」と称された小栗上野介が、紛れもなく「徳川近代」という時代を主導する存在であったことを示すシンボルでもあったといえよう。

幕末・徳川近代という時代を見誤ってはいけない。

 

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