文/原田伊織
「徳川近代」――。何やら聞きなれないフレーズを打ち出した本(『消された徳川近代 明治日本の欺瞞』)が密かに話題を集めている。著者は『明治維新の過ち』を嚆矢とする維新三部作のベストセラーで知られる原田伊織氏。近代は明治からというこれまでの常識に挑んだ書だ。
幕末の日本でいち早く近代化を推進した小栗上野介忠順は、「徳川近代」を象徴する幕臣である。その小栗が維新後、さしたる理由もなく新政府軍に斬首されたことに「維新の実像」が見えて来る。
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小栗の対米交渉 「貨幣の同種同量交換」
もう一度、先に触れた万延遣米使節団の日程を確認しておきたい。
ワシントンの海軍造船所を見学した後、一行はフィラデルフィアへ向かっている。フィラデルフィアで彼らが訪れたのは、造幣局であった。小栗は、ここで日米通貨の分析実験を行うことを主張して、この実施を認めさせたのである。
しかし、アメリカ側は、小栗が分析手法を知りたがっていると受け留めたようで、両国通貨の一部を削り取って分析実験を行おうとした。小栗がこれに異議を唱え、小判一枚、ドル金貨一個を丸ごと溶解して成分比較を行うことを要求したのである。
アメリカ側は慌てた。彼らは、日本人に分析能力やその結果を理解する能力はないという偏見をもっていたのだ。ところが、小栗の要求は、明らかに日米の貨幣の品位を相対比較することを意味している。米ドルとはメキシコドル銀貨である。銀の含有量が決して多くなく、銅などの不純物を多く含んでいる。
造幣局スタッフは、そのことを十分承知している。一方で小栗は、ポーハタン号の乗組員から各国の通貨を手に入れており、ハワイでもハワイの貨幣価値を調査している。アメリカ側は、分析には時間がかかるなどと言って逃げようとしたが、小栗はそれを許さなかった。一貫して「ノー」を言い続けたのである。
振り返れば、日米和親条約の締結交渉において、林復斎はペリーの要求を突っぱねることが多かった。日米修好通商条約交渉での岩瀬忠震も、ハリスに対して通すべきことは通した。そして、小栗忠順である。
勿論、如何ともし難い国力の差で、やむを得ず同意せざるを得なかったことも多かったが、彼らは常にアメリカとイーブンに渡り合っている。後世、『「NO」といえる日本』などという書籍が売れたことがあるが、日本人がアメリカに対してノーと言わなくなった、言えなくなったのは、明治近代になってからのことである。
結局、アメリカ側が折れざるを得なかった。夕方までかかって、両国通貨の成分分析が行われた。小栗たちは、昼食に弁当を届けさせて造幣局を動かなかったのである。
「ニューヨークタイムズ」紙は、小栗たちの忍耐強さ、知性、集中力がアメリカ人スタッフに感銘を与えたと賞賛している。
小栗の行動は、大老井伊直弼の指示によるものであったが、背景には金貨の大流出(濫出)問題があった。小栗の対米交渉を理解するためにも、この金貨の大流出について、できるだけ簡略に整理しておきたい。
小栗は、この条約の批准のための使節団の目付としてアメリカへ渡ってきたのだが、この条約には「貨幣の同種同量交換」という条項が盛り込まれている。
この「貨幣の同種同量交換」という条項を強引に差し挟んだのは、ハリスである。岩瀬には、その不利がよく分かっていたが、合意を急ぐ彼は、総合判断の結果として調印を推進した。時はアヘン戦争、アロー号事件の直後であり、アメリカとの合意を急がなければあの恐ろしい無法者イギリスがやってくる。
イギリスの脅威
当時の幕府のイギリスに対する恐怖心というものは生半可なものではなかった。この点は、程度の差はあっても岩瀬も同様であったろう。清国を侵略する手段としてアヘン貿易を仕掛け、極東の「眠れる獅子」を喰いにかかったのだ。ここではアヘン戦争について詳述する紙幅はないが、この残虐な事実は、共産主義者による数多くの虐殺以外では、アメリカによる原爆投下を含む無差別空爆による日本市民の虐殺、ナチスによるユダヤ人虐殺と並んで世界史に残る「人道に対する三大犯罪」として永く記憶されなければならない。
イギリスの、極東におけるこの侵略行為が幕府に対して大いなるプレッシャーをかけたことは事実であるが、官軍正史は勿論、これまでの多くの維新論は大切な要因を見逃している。
アヘン戦争そのものについてもそうだが、引き続き惹き起こしたアロー号事件に対して、イギリス世論は政府及び極東に展開した自国のさまざまな勢力に対して非常に厳しかった。さすがのイギリス人も自国のやり方が余りにも正義や良識に反するものであると、自責感情を抱かざるを得なかったのである。こういう国内世論を受けて、イギリス政府は広東領事から初代駐日外交代表として日本に赴任しようとしていたオールコックに対して、次の内容を含む訓令を発している。曰く、
・日本人の信頼を勝ち取ること
・日本政府への要求や忠告は性急であってはならない
・江戸条約は遵守されなければならないが、それについて攻撃的であってはならない
清国に対しては武力を背景とした恫喝外交に終始し、事実武力を行使してあからさまな侵略をエスカレートさせていたイギリスが、これから付き合いの始まる日本に赴任しようとする自国の外交代表に出した訓令とはとても思えない内容を含んでいたのだ。同じ頃、中国沿岸や長崎を舞台として活動するイギリス商船や商人たちに対して、イギリス政府は以下の内容を含む「王室布告」を発令している。
・政府は、イギリス臣民が日本の法律を侵害し、日本政府によって船舶を没収されたり、罰金を科されたとしても保護しない。
同時に、艦船指揮官に対しても王室布告が発せられている。
・イギリス臣民が日本の国内法や条約を侵害するという行為を防ぐために、あらゆる手段で日本政府を支えること
幕府中枢は、アヘン戦争をはじめとするイギリスの情け無用の清国侵略の事実を知っている。そして、英仏を、大袈裟に聞こえるかも知れないが悪魔のように怖れた。このことは、英仏の侵略事実をみれば無理もないことで、むしろ認識としては間違っていない。ただ、その後巻き起こった国内世論とそれに対応せざるをえなくなった英国政府の対日方針の修正には気づいていなかったのではないか。
もっとも、オールコックが訓令を忠実に守らなかったことも一因として挙げておかなければならないだろう。ハリスはここを衝いた。「ひな形」としての通商条約の締結を急がせ、そのことが予想されるイギリスの強硬な対日要求に対するディフェンスになると幕府に信じ込ませたのである。
この時点に限っていえば、アメリカがどうあれ、フランスがどう出てこようが、また日本が如何に無防備であったとしても、イギリスはアヘン戦争とアロー戦争に対する激しい国内世論の足かせをはめられて日本侵略は不可能であったのだ。東洋の出先が無理やりやろうとすれば不可能とは言えなかったかも知れないが、少なくとも容易ではなかったのである。このことに、岩瀬や幕閣が気づいていたかどうか、それは定かではない。
「貨幣の同種同量交換」が何をもたらしたか、結論を急げば、金の大量流出である。そして、これに対応すべくハリスとオールコックの米英連合を相手に熾烈な通貨交渉を繰り広げたのが、通貨に関しては卓越した理論家であった水野忠徳である。
そもそもハリスとは、何者であったのか。
次回につづく。