門限にだけ異様に厳しい父親。今なら心配してくれるとわかるのに、当時は窮屈だった
両親の躾は祖父ほどではなかったそうですが、門限は他の友人たちよりも厳しい時間が設定されていたとか。
「高校生まで、夏は18時、冬は17時が門限でした。部活をやっていたから学校行事であれば免除されていたんですが、そんなに早いと学校終わりに友人とゆっくりすることも全然できなくて。門限に関して強く覚えていることが1つあるんです。近所の夏祭りに行ったことがあって、たしか前もって門限が過ぎることを了承してもらってからだったのに、父が思っているよりも時間がオーバーしたらしく、探しに来られたことがあります。地元の小さな夏祭りだからそんなに遅い時間までやっているわけじゃなく、時間は覚えていないけど20時くらいだったんじゃないかな。友人たちに父の過保護っぷりを見られて、ただただ恥ずかしかったですね(苦笑)。
それに、父はアルバイトも絶対に許してくれませんでした。でも、どうしてもしたかったから、母親を味方につけて、土日や夏休みの期間だけ近所のおばさんがやっていたビルの清掃の仕事を手伝っていました。アルバイトに関してはなぜか母親は寛容で、父に私の居場所を聞かれた時も遊びに行っているなど嘘に協力してくれていましたね」
明美さんは小さい頃から勉強が嫌いで、両親も勉強についてはそこまで厳しかった記憶もなく、高校卒業後は働くようにと言われていたそうです。
「勉強はずっと嫌いで、できるタイプでもなかったし、学校もそこまで大学進学する子が多くはなかったから、親に言われなかったとしても就職を選択していたと思います。私は事務など内勤の仕事を探していました。でも、先生から接客業が向いていると、今の仕事を勧められたんです。就職が決まった時は両親はもちろん喜んでくれましたけど、この子に本当に接客ができるのだろうかと就職してからもしばらくは心配していましたね」
進路についてもご両親と揉めていない印象でしたが、実は中学の時に高校進学のことで一度反対されたことがあったと振り返ります。
「中学の時に実習で養護施設の手伝いに行く機会があったんです。そこで介護について興味を持って、高校ではなく専門学校への進学を希望した時期があって。でも、両親は、『専門学校はその目指した道がダメだった時に中卒になってしまうから』と珍しく猛反対されて諦めたんです。今思うと、両親の意見は正しかったことがわかるんですが、当時は押さえつけられた記憶が残っていますね」
就職してからも続く門限。そして、小さい頃から徐々に進行していた両親の不仲。母親を救いたい一心で、明美さんはある言葉を母親に伝えます。
【~その2~に続きます。】
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。