取材・文/ふじのあやこ
近いようでどこか遠い、娘と家族との距離感。小さい頃から一緒に過ごす中で、娘たちは親に対してどのような感情を持ち、接していたのか。本連載では娘目線で家族の時間を振り返ってもらい、関係性の変化を探っていきます。
「最初に家を出たのも、結婚したのも私。父との距離は姉妹の中で一番遠かったと思います」と語るのは、留美さん(仮名・36歳)。彼女は現在、徳島県で中学生と小学生の2人の男の子を育てているお母さんです。肩につかない長さのストレートボブヘアに、ドルマンスリーブの黒のトップスにスリムのデニムを合わせています。とても子供を2人産んだと思えないスリムな体型に、健康的に日焼けをした肌が印象的です。
体が弱かった私の側にはいつも父親の姿があった
留美さんは京都府出身で、両親と3歳上と1歳上に姉のいる5人家族。父親は食品関係の営業の仕事をしており、母親は家からほど近い場所にあるドラックストアでパートをしていました。小さい頃は姉たちと違って体はとても小さく、虚弱体質だった留美さんを父親はよく運動に連れていってくれたと言います。
「私を身籠っていた時に母親が体調を崩して、出産も苦労したそうです。その影響か、私は小学生までとても小さい子で、クラスでは常に一番前でした。学校で朝の朝礼などを最後まで立っていられない子っているじゃないですか。私はそんなタイプでしたね。
姉たちは標準より大きかったので、小さくて体も細かった私に体力をつけるため、父親はいつも休みの日に公園へ連れていってくれました。鉄棒の逆上がりや、補助輪を外した自転車に乗るのも父親が特訓してくれましたね。小学生の時に一輪車がすごく流行ったんですが、姉妹で私だけいつまでも乗れなくて、けっこう厳しめに特訓された記憶が残っています」
父親は毎朝出社前にジョギングを日課にするなど、体を動かすことが大好きだったそう。中学時代は姉妹にそれぞれ運動部に所属することを義務付け、一番上の姉はテニス部、真ん中はバレー部、そして留美さんは水泳部に入ります。常に部活の話を振って来る父親を鬱陶しいと感じることがたくさんあったと留美さんは語ります。
「一番上の姉は頑なに嫌がって参加しなかったんですが、私は毎朝のジョギングに参加させられていた時期がありました。その頃は中学生で反抗期真っ只中。どんなに愛想のない態度を取っても父親は気にしていない感じで、運動を強要してきましたね。真ん中の姉とぶつぶつ文句を言いながらも一応は付き合っていました」
中学3年生になると受験を理由に父親との朝のジョギングは免除されたそう。しかし、高校進学後に留美さんは部活に所属しなかったことで父親との仲が険悪になったと言います。
「声を荒げるような感じでめちゃくちゃ怒られたんです。私は代表になれるほど強い選手じゃなかったし、中学の時もそこまで部活で楽しかった思い出もありませんでした。それに周りに期待されていた選手でもなかった。なのに、『中途半端なことをして恥ずかしくないのか!』みたいなことを言われましたね。なんでそこまで言われなくちゃいけないんだって、すごく腹が立ちました。私も興奮して何を言ったか覚えていないんですが、思いっきり言い返してやりましたよ」
【高校3年間は冷戦状態。一度開いた距離は埋まらないまま、どんどん交流は無くなっていき……次ページに続きます】