取材・文/ふじのあやこ

近いようでどこか遠い、娘と家族との距離感。小さい頃から一緒に過ごす中で、娘たちは親に対してどのような感情を持ち、接していたのか。本連載では娘目線で家族の時間を振り返ってもらい、関係性の変化を探っていきます。

「ずっとおばあちゃん子で、母親とはずっと仲が良くなかった。父はその間に挟まれていて、窮屈だったんじゃないかな」と語るのは、佳織さん(仮名・33歳)。彼女は現在、都内のインターネット関連の企業でデザイナーとして働いています。フワフワした軽いカールの入ったショートボブに、黒のボリュームスリーブのブラウス、スリムのジーパンを着ており、ハキハキとしゃべる感じから明るい雰囲気のある女性です。

共働きの中で一番にかわいがってくれたのは祖母だった

佳織さんは富山県出身で、両親と8歳下に弟がいる4人家族。小学校までは父方の祖父母と一緒に暮らしていたそう。父親は祖父の代からの建具屋を継ぎ、母親もさまざまな仕事をフルタイムでしていたと言います。

「両親は中学の同級生で、大人になってから再会して結婚したそうです。父親は自営業で、母親は保険会社のセールスレディや、子供服のメーカーで勤めたりなどずっと忙しく仕事をしていました。だから私を小さい頃から育ててくれたのはおばあちゃんだったんです。おばあちゃんは私のことを『自分の娘』と周りに言うくらい可愛がってくれたし、大好きでした」

両親よりも密な関係になっていった佳織さんと祖母。しかし祖父と母親の関係が悪化して、小学校を期に同居は解消されます。両親と祖父母の関係がこじれていく中、佳織さんは祖母の家で過ごすことが増えていったそうです。

「小学校の時に母親が私と弟を連れて家出したんですよ。一週間ぐらいホテルで過ごして、その後父親が迎えにきて収束したんですが、結局祖父と母の関係の修復は難しく、そこからマンションでの生活が始まりました。マンションでの生活は私が中学に上がった時からで、その頃には反抗期に入っていたので、私はマンションで暮らすよりも祖父母の家で過ごすほうが楽しかった。ほぼ祖父母の家で生活していました」

その後、しばらくは家族同士の行き来はなくなってしまいます。しかし、数年後に祖父が体調を崩し、入退院を繰り返していくようになり、お盆やお正月など行事ごとの交流は復活していったとか。そんな親戚同士の交流は復活していったものの、家族内は佳織さんの反抗期が本格化。高校卒業後に東京で進学したいと言ったところ親が大反対! そのことでさらに仲が悪化していったそうです。

「もうバチバチでしたよ。頭ごなしにダメと言うだけで聞く耳も持ってくれない。母親がとにかくうるさくて、父親は何も発言してこないんです。責められたりはしないけど、庇ってくれることもなくて。本当にその姿にイライラしていましたね。

結局東京に行くことはできずに、親戚のいる新潟なら許可するということで、どうしても家を出たかったので新潟のカメラやデザインを勉強できる専門学校に入学しました。親戚の家にはお世話にならずに、学校があっ旋していた寮で2年間を過ごしましたけどね」

無理矢理に決めた上京。就職を喜んでくれなかった両親を嫌い、疎遠状態に。次ページに続きます

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