父の出した結論「最期まで母と一緒に」
実は、敏夫さんが毎週のように“ホーム出”を繰り返していた時期、大島さんと兄は敏夫さんのためにも二人を別のホームに入れた方がいいのではないかと話し合い、現在入居しているホームの系列の施設を見学までしたのだという。そのホームは元気な入居者が多かったので、敏夫さんならすぐに溶け込めるだろうと考えたのだ。一緒に見学に行った敏夫さんも気に入って、一時はホームの住み替えに乗り気だったのだが、最終的に総子さんと同じホームに残ることを選んだ。
「今後お母さんがどれだけ壊れていこうと、やはり最期までお母さんと一緒にいたいという自分の気持ちに気づいたんだ」という言葉とともに――。
「どうしても我慢できなくなったら、子どもたちには申し訳ないが、また時々“ホーム出”して気分転換すればよいから、と。父は母と同じ場所にいる、と最終結論を出したのです」
若いころは、“小町”と呼ばれるほど、評判の美人だったという総子さん。そんな総子さんに惚れぬいて、プロポーズをした敏夫さん。大島さん兄妹が独立してからは、両親は恋人同士に戻ったように仲良く暮らしていたという。父親は、いまだに総子さんのことが大好きなのだと大島さんは思う。
だから敏夫さんは、辛い部分だけホームの職員にお手伝いをしてもらえば、残された日々を昔のように二人で穏やかに過ごせると考えていたのだが……
「二人で穏やかに過ごすという父の予定どおりにはいきませんでしたね。それでも父が出した結論なのですから、私や兄も反対する理由はありません」
そして大島さんはこう締めくくった。
同じ老人ホームの、別々の部屋――それが、父と母の“幸せのかたち”なのだろう、と。
取材・文/坂口鈴香
終の棲家や高齢の親と家族の関係などに関する記事を中心に執筆する“終活ライター”。訪問した施設は100か所以上。20年ほど前に親を呼び寄せ、母を見送った経験から、人生の終末期や家族の思いなどについて探求している。