文/晏生莉衣

ジェンダー ニュートラルで進化する英文法(後編)【世界が変わる異文化理解レッスン 基礎編8】

ラグビーワールドカップ、東京オリンピック・パラリンピックと、世界中から多くの外国人が日本を訪れる機会が続きます。楽しく有意義な国際交流が行われるよう願いを込めて、英語のトピックスや国際教養のエッセンスを紹介します。

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heあるいはsheという男女二分法で呼んでほしくないという人々がオープンな主張を始めた、という社会的変化から、ジェンダー ニュートラルな人称代名詞として「単数形のthey」を使う動きが広がっていることを前回、取り上げました。今回は「単数形のthey」以外のさまざまなジェンダー ニュートラル人称代名詞についてです。

復習すると、「単数形のthey」とは、性別にかかわらず、すべての人に使える三人称の代名詞の単数形が英語にはないことから、theyを単数形で使おうという試みです。この用法では、例えば、“his name”や “her name”となるところが “their name”となります。theyを単数形とみなし、男性に関してでも女性に関してでも共通に使うわけです。

この「単数形のthey」は、従来のhe, she, theyという人称代名詞を使いながら文法を変えるという方法ですが、それに対し、まったく別な形のジェンダー ニュートラル人称代名詞を作ってしまおうという動きが2000年代前後から高まっています。

“ey”, “E”, “ze, “xe ”……

その先駆者的なもののひとつに、theyからthを落とした“ey”という形の代名詞があります。これは1975年にクリスティーン・エルヴァーソンという女性が考案したものですが、その変形のような、“E”というよりシンプルな代名詞を、マイケル・スピヴァックという数学者が1983年に考案しました。そのいくつかのヴァリエーションも含めて、実際にコンピュータゲームや一部のジェンダークィア(genderqueer: LGBTQQにあたる性的マイノリティの総称)の間で使われていると言われています。そしてその後、現在まで数々のジェンダー ニュートラル代名詞が提案されてブームのようになっています。

ただし、ブームといっても、「単数形のthey」の試みに古い歴史があるように(前回レッスン7参照)、まったく別な形のジェンダー ニュートラル人称代名詞の考案も、18世紀終わり頃にさかのぼって、 “ou”という形の記録があることがわかっています。下の表にあるのは主なジェンダー ニュートラル人称代名詞の例で、年代はこれまでの研究からわかっているだいたいの年代です。こうした古いものから最新のものまで、これまでに100以上の形が提案されているといいます。

ジェンダー ニュートラル人称代名詞の数々

ジェンダー ニュートラル人称代名詞の数々

馴染みのないものがいろいろとありますね。英語圏の人々にもどう発音するのかわからないものが多いので、発音記号つきで解説がされているような状況です。例えば “ze” “zee”のように発音します。その活用の “hir” は「ここ」という意味の“here”と同じ発音です。

この “ze”に関連する最新の話題に、スクラブル(Scrabble)というボードゲームがあります。スクラブルはクロスワードのようにアルファベットを並べて単語を作るゲームですが、点数を競いながら楽しく英単語を覚えられるので人気が高く、各国からの参加者で得点を競う世界大会もあります。その世界大会を管理する連合組織WESPA (the World English Language Scrabble Players Association) は、今年5月にアップデートする単語リストに“ze”を追加すると発表しています。ジェンダー ニュートラル代名詞として初めて加えられるもので、ゲームでは一般的な単語として使われることになります。様々な国で子どもから大人まで幅広い年齢層の愛好家がいるこのゲームで“ze”の使用がOKとなればインパクトはあるので、「単数形のthey」以外のジェンダー ニュートラル人称代名詞が受け入れられやすくなることにつながっていくのではないでしょうか。日本でも友達や家族とスクラブルゲームを楽しむ方々がいると思いますが、“ze”を覚えておけば、これからは得点のチャンスが一つ増えることになります。

“ou” 、“ne” 、“thon”という古い形が根づかなかったように、こうした新たな発案のものがどれだけ普及していくかは不明ですが、ハーヴァード大学をはじめとする多くの大学がこうしたジェンダー ニュートラルな人称代名詞に関するポリシーを発表し、学生に選択の自由を与えています。

こうしたジェンダー ニュートラルな人称代名詞が導入されても、heや sheという従来のものが廃止されるわけではありません。heも sheもこれまでどおり使用することに変わりはなく、ジェンダー ニュートラルのほうを使いたい人は、どうぞそちらをお使いください、ということです。英語圏では人称代名詞の選択肢が広がったとポジティブに受け止める声が多く聞かれますが、とまどいや異なる見解もあり、これからも議論が続く模様です。

言語は変わりゆくもの

英語を含めて言語は長い歴史の中で変化を続けてきました。その時代とともに人々の話す言葉も表現も変われば、言語の骨格である文法が変わることもあります。ここ数年来、世界中で押し寄せているジェンダーによる意識改革の波を受けて、英語は今、この三人称の人称代名詞の課題に再び直面しています。

実際のところ、ジェンダー ニュートラルな人称代名詞は、日本人にとっても利用価値は高いのではないかという印象があります。英語を書くのに慣れていない人が、ある対象となる職業や人物について、自分の中のジェンダーバイアスによって“he”あるいは“she”というように決めつけて書いてしまうというミスを避けられますし、ビジネスで英文レポートやメールを書くことがある中級・上級者にもメリットは大きいでしょう。実際に書いてみるとわかりますが、現在のルールに従って、文中にhe or she、his or her、him or her、あるいは s/he、his/her、him/herというように書く頻度はかなり高いのです。しかし、前者を繰り返すと文章が間延びする感じがし、後者を繰り返すとなにか機械的な感じがすると、私自身、書いていて気になることがよくあります。又、ディスカッションやプレゼンテーションをする際に、“he or she”を繰り返すのは時間がかかる上、言葉がスムーズに流れにくくなるのでけっこうな負担となります。きっと、こうした不便さや不自然さを、英語圏の人々は古くからずっと感じてきたのでしょう。

さらに、ジェンダー平等だけではなくLGBTQへの配慮も含める時流の中では、he or sheの二分法でいいのかという疑問も生まれてきます。こうしたジェンダー ニュートラル人称代名詞のいずれかが定着すれば、意図せずに誰かを排除してしまうようなことを避けられますし、より自然な英語を書いたり話したりできるようになることが期待できます。それが近い将来のことになるのか、遠い将来なのか、それともまったく定着せずに終わるのか、今後の展開が注目されます。ジェンダー ニュートラルな言葉遣いについて、英語以外の言語に関しても次回以降で取り上げていく予定です。

文・晏生莉衣(あんじょうまりい)
東京生まれ。コロンビア大学博士課程修了。教育学博士。二十年以上にわたり、海外で研究調査や国際協力活動に従事後、現在は日本人の国際コンピテンシー向上に関するアドバイザリーや平和構築・紛争解決の研究を行っている。

 

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