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文/晏生莉衣
いまや常識「単数形のthey」をさらに正しく理解しよう|米語辞典から学ぶ新しい英語(1)【世界が変わる異文化理解レッスン 基礎編30】世界中から多くの人々が訪れるTOKYO2020の開催が近づいてきました。楽しく有意義な国際交流が行われるよう願いを込めて、英語のトピックスや国際教養のエッセンスを紹介します。

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レッスン7で紹介した「単数形のthey」。今秋、アメリカの主要辞典「メリアム・ウェブスター辞典」(The Merriam-Webster Dictionary)の「they」の語義に、「単数形のthey」の新たな語義と用法が加えられました。そうしたことから日本でもこの「単数形のthey」が話題に取り上げられる機会が増えていますが、その説明は十分とは言えないようです。そこで今回はレッスン7の復習もかねて、「メリアム・ウェブスター辞典」の定義を紹介しながら「単数形のthey」についての疑問点を解説しましょう。

2種類ある「単数形のthey」

英語圏では一般的に使われるようになってきている「単数形のthey」。英語で「singular they」と言いますが、正確には2種類の用法があります。1つは、利便性の観点からtheyを単数形にも使って英語をシンプルにしようとする使い方です。たとえば、
“Everyone can attend this event if they want.”
「希望者は誰でもこのイヴェントに参加できます」という意味ですが、主語は個々の人間を指すEveryoneという三人称単数形ですから、本来の英語では、それに続くif以下の節の主語もheかsheという三人称単数形の代名詞を使うはずです。しかし、ここではtheyが使われています。これが「単数形のthey」の用法の1つです。

説明すると、三人称の代名詞には男女共通の単数形がありませんので、男性はhe、女性はsheと使い分けなければなりません。上記の例文の場合、以前は「総称としてのhe」という考え方で「if he wants」と書いてOKとされていましたが、昨今は男女平等の観点から不適切とされ、he or sheあるいはs/heのように併記するのが当たり前となっています。しかし、この方法だと、英語で書いたり話したりするのに、主語だけでなく所有格や目的格まで含め、he or she、his or her、him or herなど何度も反復表現を使わなければならないことがあり、実に不自然な英語になってしまいます。

こうした不便さや不自然さを解消するために、それならいっそのこと、男女共通に使えるジェンダーニュートラルな三人称複数形のtheyを単数形として使ってしまおうという発想で生まれたのがこの使用法です。一種、変則的な用法ですが、実はこの「単数形のthey」は英語の歴史的にはかなり古くから使われていて、メリアム・ウェブスター辞典では、この1つ目の「単数形のthey」を以前から「不特定の三人称単数の先行詞とともに使われる」と定義して、theyの用法の1つに含めています。例として、レッスン7ではルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』(1865年)の一文を引用しましたが、同辞典ではシェークスピアやジェーン・オースティンなどもこの「単数形のthey」を使っていたことが紹介されています。

辞典が認めた新しい使い方は?

そして同辞典に今回新たに加えられた2つ目の「単数形のthey」は、「used to refer to a single person whose gender identity is nonbinary(ノンバイナリーなジェンダーアイデンティティを持つ単数の人を指して使われる)」と定義されています。これをさらに日本語でかみくだくと、「男性でも女性でもないという性自認を持つ個別の人について使われる」三人称単数形の代名詞「they」を指しています。

これをよく理解するためには「バイナリー(binary)」という言葉の意味の変化も知る必要があるでしょう。binaryは第一義に「2つから成る」という意味です。「ノンバイナリー(non-binary)」はバイナリーではないということですから、「2つに区別されない」という意味になりますが、この元来の意味から転じて、英語圏では昨今、「男性、女性という2つの性別にとらわれない」という性自認の意味で使われるようになっています。heあるいはsheという男女二分法で自分を表すことに心地の悪さを感じてきたLGBTQの人々の主張から広がって、一種の流行語のようになりました。日本では「2進数の」という意味から「バイナリ」「バイナリデータ」などのIT用語として使われることが多かったのですが、最近は英語圏と同じく性自認の意味で「ノンバイナリー」と使われているのをよく目にします。

さて、この新たな「単数形のthey」の使用法ですが、メリアム・ウェブスター辞典では、例として、ノンバイナリーな性自認を持つ友人を誰かに紹介するなら、
“This is my friend, Jay. I met them at work.”
というふうに使うと説明しています。「こちらは友人のジェイです」と紹介したあと、「them(この方、この人)とは職場で知り合いました」と、him(彼)やher(彼女)ではなくthemという男女共通の代名詞theyの目的格を使って話を続けるという方法です。こういう言い方であれば、自分を男性でも女性でもないと認識しているジェイさんにとっては、性別を勝手に決めつけられることなくジェンダーニュートラルな形で自分を紹介してもらえますし、その紹介を聞いた方は、ジェイさんはノンバイナリーなのだなと察することができるわけです。同辞典ではこの2つ目の「単数形のthey」を、わかりやすく「ノンバイナリーなthey」とも表現しています。

動詞はどうなる?

このように2種類ある「単数形のthey」ですが、同辞典ではどちらも動詞は複数形を取るとしています。単数形だから「they is」「they has」のようになるのではなく、「they are」「they have」というように複数形と同じ形になるのですね。youは「あなた」という単数の意味でも「あなたたち」という複数の意味でも、「you are」「you have」と複数形の動詞を取りますから、それと同じことと考えれば理解しやすいでしょう。同辞典の説明でも指摘されていますが、「you」という二人称代名詞はそもそも複数形だったものが何世紀もかけて単数形としても定着したという歴史があります。私たち日本人にしても、英語の授業で「youの動詞は単数、複数共通」という文法を最初から習っているので特に疑問を感じません。theyの場合も同様に、単数形として使うことについて、今はなんとなくおかしいような感じがするかもしれませんが、時の経過とともに普通の文法として浸透していくことは予想できます。

以上、古くからある変則的な総称としての「単数形のthey」と、新たに加えられたノンバイナリーな性自認としての「単数形のthey」。どちらもジェンダーニュートラルな三人称代名詞としての「単数形のthey」なのですが、前者は特に性別が重要でない状況や文脈で、一般的な人という不特定の意味で使われるのに対し、後者は「Xジェンダー」とも言われるノンバイナリーな性自認を持つ人に対して特定的に使われるのが大きな違いです。同じ「単数形のthey」でも、このようにそれぞれに異なる使用目的や意義がありますから、新しい英語を学ぶ際に不要な混乱や間違いを生まないためにも、この違いをよく整理して理解しましょう。

日本の英語教育での扱いは?

権威ある辞典に加えられるということは、その用法がお墨付きを得たようなもの。とは言っても「単数形のthey」は日本人にはまだあまり馴染みがありませんので、「単数形のthey」が使われている英文を見たら、「これは新しいtheyの用法だな」とピンとくるよりは、文法が間違っていると思ってしまう可能性のほうが大きいでしょう。一般的に、言葉に限らず新しい文化を敏感かつ柔軟に吸収する能力は大人より若者のほうが優れていることを考慮すると、懸念されるのは、こうした英語の新常識を知らない日本の学校の先生や職場の上司が、生徒や部下が書いた「単数形のthey」を使った英文を間違いとして減点したり、書き直してしまったりするようなケースが起こるのではないかということです。英語試験については昨今、いろいろな問題が生じていますが、今後、英語の学力試験などでこうした「単数形のthey」をどのように取り扱うのか、正解、不正解の明確なスタンダードを決めて周知を図る必要があるでしょう。

文・晏生莉衣(Marii Anjo)
教育学博士。20年以上にわたり、海外で研究調査や国際協力活動に従事。途上国支援や国際教育に関するアドバイザリー、平和構築関連の研究等を行っている。

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