才を見抜く才

ここまで辿ってきたことからも分かるが、初期の曹操政権にあって荀彧(じゅんいく)の功績は破格ともいうべきものである。魏帝国の基盤は彼がつくりあげたといっても過言ではないだろう。その智謀と見識にくわえ、荀彧(じゅんいく)には、もうひとつ余人のおよばぬ長所があった。人を見る目の鋭さがそれで、しばしば人材を見出しては推薦したという。前述の郭嘉や、諸葛孔明の好敵手となる司馬懿(しばい)も荀彧(じゅんいく)の後押しをうけて曹操につかえた。荀彧(じゅんいく)が推挙したなかから、10人以上もの大臣が出たというから、その眼のたしかさに驚かされる。それでいて、いくらまわりに勧められても不出来な甥を取り立てようとはしなかった。

荀彧(じゅんいく)には、人間の能力というものが、ありありと見えていたのだろう。とはいえ、おのれの見出した司馬懿の孫・司馬炎が魏を廃することになろうとは、むろん知るよしもない。歴史のふしぎさを感じるのは、このようなときである。

憂悶のうちに死す

理想的ともいえる参謀と君主の関係をたもってきた荀彧(じゅんいく)と曹操だが、西暦212年、思いがけない破局がおとずれる。曹操の位をすすめ、皇族なみの「公」とするうごきが起こったのである。このとき猛然と異をとなえたのが荀彧(じゅんいく)で、これをきっかけにして主従のあいだからこれまでの親密さがうしなわれてしまう。天下をのぞむ曹操の野心に気づかぬ荀彧(じゅんいく)でもあるまいが、いよいよその時が近づくのを目の当たりにし、名門出の身として漢王朝を惜しむ気もちが抑えられなかったのかもしれない。

折しも曹操は孫権討伐の軍を発し(「赤壁の戦い」とは別)、荀彧(じゅんいく)にも同行を要請した。この途上、病を得た荀彧(じゅんいく)は50歳で陣没する。翌年、曹操は魏公となり、さらにその3年後には魏王の位について、帝国への道をひらくこととなった。

これが正史「三国志」の記述だが、後代に付された注では曹操から自殺を強いられたことになっている。前後の経緯から見て、ないとはいえない話だから、早い時期に広まっていたらしい。やはり正史である「後漢書」(成立は「三国志」よりあと)は、最初からこの説にもとづいて記述をすすめているし、小説「三国志演義」も、自殺説を採っている。いずれにせよ、荀彧(じゅんいく)が憂悶のうちに没したのは間違いないだろう。

たぐいまれな才をふるい、魏のいしずえを築きながらも悲劇的な死をとげた参謀・荀彧(じゅんいく)。が、その子孫は曹一族や司馬一族と縁組をむすび、三国が統一されたのちまで生きのこった。やはり人材を輩出する血筋らしく、荀彧(じゅんいく)の死後も高位にのぼったものが複数出ている。彼の遺徳も誇りをもって受け継がれていったにちがいない。そこに、わずかながらも救いを覚えるのである。

文/砂原浩太朗(すなはら・こうたろう)
小説家。1969年生まれ、兵庫県神戸市出身。早稲田大学第一文学部卒業。出版社勤務を経て、フリーのライター・編集・校正者に。2016年、「いのちがけ」で第2回「決戦!小説大賞」を受賞。著書に受賞作を第一章とする長編『いのちがけ 加賀百万石の礎』、共著『決戦!桶狭間』、『決戦!設楽原(したらがはら)』(いずれも講談社)がある。

『いのちがけ 加賀百万石の礎』(砂原浩太朗著、講談社)

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