文・石川真禧照(自動車生活探険家)

車好きの夢のひとつとして、世の中で他人が乗っていないクルマに乗りたい、自分だけのためにデザインされたクルマを所有してみたい、というのがある。あまりにも夢が壮大すぎて、たいていの人は、夢で終わってしまう。


しかし、光岡進(昭和14年生)は違った。富山県で自動車ディーラーに勤務していた光岡は、与えられた仕事が肌に合わず、独立して好きなクルマに関係する仕事をはじめた。その時から、自らクルマをつくってみたいという夢を見るようになった。そして、ついに1982 年(昭和57年)、自らの会社の中に、自動車開発部門を設立、クルマづくりに乗り出した。
当初は50ccエンジンで二輪免許や、原付免許で運転できる「ゼロハン」カーというのを製作し、販売した。その後、アメリカで見かけたVWビートルを改造したクルマをヒントに、日本で改造車の製作をはじめた。日産車をベースに車体前後のデザインを変更し、独自のクラシカルな外観のクルマをつくり上げ、販売した。
大きな転機は1994年にやってきた。独自に開発製作した車が、運輸省の型式所得を受けたことで、光岡自動車は日本で10番目の国産自動車メーカーになったのだ。ちなみに9番目だったのがホンダで、1963年のことだ。
光岡自動車は独自開発の車以外にも、トヨタ、日産、ホンダ、マツダから供給される市販車に自社設計の外装を組み付けたパイクカーと呼ばれる車も生産している。それらは「ビュート」「ガリュー」などといった車名で販売されている。



「M55(エムダブルファイブ)」は、光岡自動車が創業55周年を記念して製作したモデル。2025年に生産予定の100台を「M55 ゼロエディション」として発表したら、抽選販売にもかかわらず、受付から約10日間で、応募者数上限の350名に達した。
開発当初、100台でも生産台数は多いのではないかと懸念していたそうだが、それは杞憂だった。むしろ、その後、M55をほしいという声が多く光岡自動車に寄せられ、急遽第2弾として2026年生産販売を決定、250台をイヤーモデルとして用意することにしたという。

M55のベースになっているのは、ホンダのシビック。新車を光岡自動車が仕入れ、新しいボディを架装する。
ボディ全体のイメージは1970年代のアメリカ車で、光岡自動車にとっても1970年代は事業発展の礎を築いた時代ということで、デザインをオマージュしている。
実際に試乗してみると、ボディでシビックを感じるのはリアクォーターウインドあたりだけ。フロントマスクのマッスル感や、リアウインドのルーバーが70年代をイメージさせ、乗る前からワクワクさせられる。





室内はハンドルや前席にM55、MITSUOKAの文字があるものの、基本的にはシビックと同じ。「M55 ゼロエディション」はマニュアルミッションしか作らなかった。1.5Lエンジン+6速マニュアルミッションという、シビックシリーズの中ではベースとなるモデル。久しぶりに運転したシビックの自然給気+マニュアルミッションは、想像していた以上にキビキビと走り、マニュアルミッションを楽しめた。街中では信号待ちで、ショーウインドにうつる自分の車を見て、カッコ良さに気分が上がった。


2026年生産の「M55 ファーストエディション」は2.0Lのハイブリッド車もベース車両として選べるのだが、変速機は無段変速のAT車になってしまうそうだ。運転はラクになるのだが、マニュアルシフトのキビキビさは体感できない。
M55の人気のおかげで、次の新型車はまだ生産予定が立っていないが、日本で10番目の自動車メーカーは独自の車づくりでファンを増やしている。次のモデルはどのようなコンセプトで出てくるのだろう。発表を待ち望んでいるファンも多い。
ミツオカ M55 ゼロエディション
全長×全幅×全高 | 4735×1805×1415mm |
ホイールベース | 2735mm |
車両重量 | 1360kg |
エンジン | 直列4気筒ガソリン/1496cc |
最高出力 | 182ps/6000rpm |
最大トルク | 240Nm/1700~4500rpm |
駆動形式 | 前輪駆動 |
燃料消費量 | ― |
使用燃料/容量 | 無鉛プレミアムガソリン/ 47 L |
ミッション形式 | 6速MT |
サスペンション形式 | 前:ストラット/後:マルチリンク |
ブレーキ形式 | 前:ベンチレーテッドディスク/後:ディスク |
乗員定員 | 5名 |
車両価格(税込) | 808,5万円 |
問い合わせ先 | 0120-65-0022 |

文/石川真禧照(自動車生活探険家)
20代で自動車評論の世界に入り、年間200台以上の自動車に試乗すること半世紀。日常生活と自動車との関わりを考えた評価、評論を得意とする。
撮影/萩原文博