新着記事

関羽像(かんうぞう) 青銅製 明時代・15~16世紀 新郷市博物館蔵

「リアル三国志」の世界を最新の発掘成果と共に体感!【日中文化交流協定締結40周年記念 特別展「三国志」】

岡山県産綿布の雪駄|素足に心地よい伝統の綿布を使用。普段着でさくさく歩きたい

黒くて丸いタイヤの選び方、考え方【彩りカーライフ~自分の人生をかろやかに走ろう~】

タイヤは消耗品。黒くて丸いタイヤの選び方、考え方【彩りカーライフ~自分の人生をかろやかに走ろう~】

【娘のきもち】母親とぶつかった後に襲われる、後悔と罪悪感。実家で過ごした幼少期が思い出せない~その2~

【娘のきもち】母親とぶつかった後に襲われる、後悔と罪悪感。実家で過ごした幼少期が思い出せない~その2~

【娘のきもち】幾つもの困難を経て生まれた8歳下の弟。母親の溺愛は日常の風景だった~その1~

【娘のきもち】母親とぶつかった後に襲われる、後悔と罪悪感。実家で過ごした幼少期が思い出せない~その1~

法律改正でどう変わる?国家資格制度の導入が決まった動物の看護師さん

法律改正でどう変わる?|国家資格制度の導入が決まった動物の看護師さん

チチャロン・サンド全体の味をぴりっと引き締める、オレンジ色のトウガラシソースを添えて

「世界一の朝食」実は〇〇の残りものだった?|ペルーで愛される「チチャロン」

遠州先染織のしじら小あじろ作務衣|涼しい着心地で使うほどに風合いが増す

シューベルト:ピアノ・ソナタ集Vol.2

シューベルトの名作をフォルテピアノ独特の味わいで楽しむ【林田直樹の音盤ナビ】

【最後の恋】オクテ同士のアラカンカップルが、男女の関係になったのは、彼女のリードから~その2~

【最後の恋】妻以外の女性と関係が進んだのは、自分の話を真剣に聞いてくれる“奥ゆかしい昭和の女”だったから~その2~

LINE公式アカウントでも記事を配信中

友だち追加

お気軽に友達追加してください

サライ本誌最新号(クリックで試し読み)

サライ7月号付録「筋トレチューブ」トレーニング動画公開中!

通販別冊『大人の逸品』最新号はこちら

ピックアップ記事

  1. ファストバックはリアのデザインが特徴的。セダンは伸びやかなデザインでありながら「塊感」があり、走る姿も美しいと想像させるものに仕上がっている。

>>過去の記事へ

サライの通販

>>過去の記事へ

趣味・教養

「赤壁の戦い」の虚と実~どこまでが本当なのか?【中国歴史夜話 2】

文/砂原浩太朗(小説家)

「赤壁の戦い」の虚と実~どこまでが本当なのか?【中国歴史夜話 2】

三国志のハイライトといえば、「赤壁(せきへき。湖北省)の戦い」を挙げぬわけにはいかない。天下統一を目指す曹操軍に対し、劉備と呉主・孫権の連合軍が長江をはさんで立ち向かい、名軍師・諸葛亮孔明(181~234)の活躍で奇跡の大勝利を果たす。孫権配下の謀臣・周瑜(しゅうゆ)と孔明の息づまる知恵くらべ、呉将・黄蓋(こうがい)が曹軍にいつわりの降伏を信じさせるため、みずからの肉体を危機にさらす「苦肉の計」など、見せ場にも事欠かない。

が、われわれが知っている「赤壁の戦い」は、小説として後代にまとめられた「三国志演義」にもとづいている。天下分け目ともいうべき戦いの実像は、果たしてどのようなものだったのか。

「弱小」ではなかった劉備軍?

西暦208年、中国北部を統一した曹操が、満を持して南下を開始する。折しも荊州(おもに湖北省および湖南省一帯)の主・劉表が病没、跡を継いだ息子は曹軍への降伏を決定した。客将としてこの地へ身を寄せていた劉備は、かねて曹操と敵対する立場であったから、手勢を率いていちはやく逃亡、孔明を使者に立て、やはり曹軍の脅威にさらされている呉と同盟を結ぶ。

「演義」では、降伏にかたむいていた呉の国論が孔明の弁舌ひとつで動き、瀕死ともいうべき劉備軍が救われたように描いている。が、実際はこの時点で1万余の兵力を有していた。くわえて数百艘の船を動かすことができたから、大軍勢とは言えないまでも、それなりの存在感をはなっている。いっぽう呉の兵力は3万とされるから、手を組む意味はじゅうぶんあったのである。

とはいえ、孔明の兄・諸葛瑾は呉で重用されていたから(第1回前編後編参照)、この縁を活用したことは想像に難くない。同盟に難色をしめす呉の群臣を相手どり論陣を張るというのも、ありえない話ではないだろう。小説的脚色としては順当なところといえる。

「10万本の矢」伝説の出どころ

同盟はむすんだものの、呉の最高司令官・周瑜は孔明の智謀におそれをなし、抹殺をはかる。3日で10万本の矢をつくれなければ、死をもってつぐなうという言質をとったのである。もちろん裏から職人たちへ手をまわし、作業を妨害する算段だった。これを察した孔明は、霧の深い夜に藁束を積んだ船団を率い、曹軍の陣に近づく。雨のように射かけられた矢が藁に突き刺さり、一夜にして10万本の矢を得たのだった。

知恵と知恵がぶつかる「演義」クライマックスのひとつだが、お察しの通り、これは大胆なフィクションというもの。周瑜もひとかどの人物、兵力80万と号される曹軍(実数は20万ほどと思われる)へ挑むのに、内輪もめをしている場合でないことは百も承知だろう。

ただし、このエピソードには原型と思われる史実が存在する。その主人公はほかでもない、呉主・孫権。赤壁の戦いから5年後、ふたたび曹操と対陣した折のことである。偵察に出た孫権の船が、片方の舷側へ矢を射かけられ、バランスをくずして転覆しそうになった。そこでとっさに船を反転させ、もう片方にも矢を受けて安定を取りもどし、ことなきを得たという。これもなかなか気の利いた話だが、演義のエピソードはこの史実からヒントを得たものと目されている。

「赤壁の火計」はあったか?

呉将・黄蓋は、すでに3代へ仕える古つわものだったが、戦術をめぐって周瑜とはげしく対立、百たたきの刑に処される。これを恨みに思い、曹操への投降を申し出た。いよいよ開戦となり、黄蓋の船団は打合せどおり曹軍の陣へ飛びこんでいくが、間近まで迫ったところで突如、火を噴き上げる。全船に火薬や燃えやすい草木を満載し、火だるまとなって敵陣へ突っ込む手筈だったのである。百たたきの刑は、投降を信じさせるため体を張った策で、「苦肉の計」と呼ばれるものだった。この作戦が図にあたり、曹操の船団はいっせいに炎上、大敗北を喫して北方へ逃げかえることとなる。

たびたび映像化もされた、「赤壁の戦い」最大の見せ場だが、あまりに小説的だとも言えるだろう。筆者はかつて、この部分もアレンジされたものだと思っていた。いささかドラマチックすぎるように感じたのである。

が、周瑜および黄蓋の伝記には、「黄蓋が火計を進言し、いつわりの投降を申し出て、曹軍の船団を炎上させた」旨がはっきりと記されている。ディテールもかなり詳しく書き込まれており、「苦肉の計」をのぞけば、「演義」はほぼ正史を踏襲していると言えるほどだ。

いっぽう、曹操の伝記では「赤壁で劉備と戦い、負けいくさとなった」という程度の簡素な記述にとどまっているが、後代に付された註の部分に、やはり「軍船を焼かれた」とある。正史の三国志は魏を正当とする立場だから、始祖というべき曹操の伝では、敗戦の詳細を書きづらかったのかもしれない。

とはいえ、これほどはっきり敗北と軍船焼失が記されているのだから、赤壁での火計はあったと見るべきだろう。ほかにも「演義」では、兵の病になやむ曹操のもとを、孔明とならび称される智者・ほう統(「ほう」は、まだれに「龍」)がおとずれる。船団を鎖でしっかりとつなげば、船酔いから起こる病がおさまると献言するが、実は黄蓋の火計を見越し、船と船を離れにくくした上で一気に焼き尽くす策だった(「連環の計」)。この部分はフィクションだが、当時、曹軍に疫病が流行していたことは事実である。また、孔明が法術を用いて、火計に有利な「東南の風」を吹かせたという有名なくだりがあるが、実際に東南の風が吹いたことは正史にも明記されている。いずれも歴史小説として、おどろくほどたくみなアレンジと言える。

史上、あまりにも名高い「赤壁の戦い」。正史と小説の差異を検証して感じるのは、きわめて精緻な脚色の手法である。こんにち残っている「三国志演義」は、14世紀に羅貫中(らかんちゅう)がまとめたものだが、それ以前に伝えられた講釈や戯曲を大いに参照している。長い年月をかけて磨き抜かれた歴史物語の完成度に、あらためて讃嘆の思いを抱かずにはいられない。

文/砂原浩太朗(すなはら・こうたろう)
小説家。1969年生まれ、兵庫県神戸市出身。早稲田大学第一文学部卒業。出版社勤務を経て、フリーのライター・編集・校正者に。2016年、「いのちがけ」で第2回「決戦!小説大賞」を受賞。著書に受賞作を第一章とする長編『いのちがけ 加賀百万石の礎』、共著『決戦!桶狭間』、『決戦!設楽原(したらがはら)』(いずれも講談社)がある。

『いのちがけ 加賀百万石の礎』(砂原浩太朗著、講談社)

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で

関連記事

  1. 関羽像(かんうぞう) 青銅製 明時代・15~16世紀 新郷市博物館蔵 「リアル三国志」の世界を最新の発掘成果と共に体感!【日中文化交流…
  2. 諸葛孔明とその一族~三国にまたがる血脈【後編】【中国歴史夜話】 諸葛孔明とその一族~三国にまたがる血脈【後編】【中国歴史夜話 1…
  3. 諸葛孔明とその一族~三国にまたがる血脈【前編】にっぽん歴史夜話17】 諸葛孔明とその一族~三国にまたがる血脈【前編】【中国歴史夜話 1…
PAGE TOP