その死、そして神格化

名軍師・諸葛亮孔明を配下とした劉備は蜀(四川省)の地を得、曹操・孫権とともに三国の一翼をになうまでになる。片腕である関羽には、かなめの地・荊州(おもに湖北省および湖南省一帯)を任せていた。ちなみに、関羽といえば美しいひげが有名だが、その出どころは、孔明が書簡のなかで、「ひげ殿」と呼びかけていることである。この一節がなければ、今につづく関羽のイメージは大きくかわっていたかもしれない。さすが孔明というべきだろうか。

関羽は期待にこたえ、めざましいはたらきを見せる。曹軍をおおいに打ち破り、敵の都へまで攻めのぼる勢いを見せた。一時期、遷都すら考えた曹操だが、孔明の好敵手である司馬懿らの進言で呉の孫権を動かし、関羽の背後をつかせる。孫権は、息子の妻に関羽の娘を望んだことがあったが、手ひどくことわられ、恨みに思っていた。むろん、基本的には政略でうごいたものに相違ないが、こうした感情のゆらめきも、ひとが行動を決するうえで無視できぬ要素である。

じっさい、このとき関羽は部下の将たちにも裏切られ、進退きわまってついに囚われの身となるのだが、彼らは、日ごろ関羽から軽んじられていることに不満をいだいていたという。おのれが厳しく義に殉じようとする分、他者へ対する寛容さには欠けていたのかもしれない。史書「春秋左氏伝」をそらんじるほど愛読していたというから、知性派でもあった。とうぜんプライドも高かっただろうが、そのぶん、敬意をいだけぬ人物には、容赦なく無礼な態度をとる一面があったと思われる。

孫権はさすが大国のあるじだけあり、捕えた関羽を配下へ迎えたいと願ったが、側近から「曹操は彼を生かしておいたため、今や遷都を考えるまでに追いつめられました」と献言され、処刑を命じた。ともに斬られた息子の関平は、「演義」で養子とされているが、正史にそれらしき記述はない。これもまた、実の親子がそろって斬られるのはあまりに哀れという民衆の思いがつくりだした脚色なのだろうか。

ここまでは名将の死として、乱世でしばしば目にする光景ともいえる。が、関羽はただの家臣ではなかった。「死ぬときは同年同月同日」との誓いさえ、あっただろうと思わせる主従なのである。家臣の敵討ちという、前代未聞の動機で劉備が呉討伐の軍をおこすのは、この2年後だった。

悲愴ともいえる死をとげた武人、関羽。その生涯にあとひと筆の寛容さが添えられたならと惜しむ思いにも駆られるが、おのれ自身をも峻厳なほど律したればこそ、2000年ちかくを経たいまでも彼の生き方は人々の心を揺さぶるのだろう。中国でも古くから信仰をあつめ、8世紀後半の唐代にははやくも神として祀られている。おもしろいのは、商売の神としてもあがめられているところで、商人には信義がたいせつとの考えからきたことだという。

日本でも横浜や神戸にある関帝廟をおとずれた方は多いだろう。つぎに詣でるおりは、義をつらぬきとおしたその生涯へ思いを馳せてみてはいかがだろうか。

文/砂原浩太朗(すなはら・こうたろう)
小説家。1969年生まれ、兵庫県神戸市出身。早稲田大学第一文学部卒業。出版社勤務を経て、フリーのライター・編集・校正者に。2016年、「いのちがけ」で第2回「決戦!小説大賞」を受賞。著書に受賞作を第一章とする長編『いのちがけ 加賀百万石の礎』、共著『決戦!桶狭間』、『決戦!設楽原(したらがはら)』(いずれも講談社)がある。

『いのちがけ 加賀百万石の礎』(砂原浩太朗著、講談社)

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