「赤壁の火計」はあったか?

呉将・黄蓋は、すでに3代へ仕える古つわものだったが、戦術をめぐって周瑜とはげしく対立、百たたきの刑に処される。これを恨みに思い、曹操への投降を申し出た。いよいよ開戦となり、黄蓋の船団は打合せどおり曹軍の陣へ飛びこんでいくが、間近まで迫ったところで突如、火を噴き上げる。全船に火薬や燃えやすい草木を満載し、火だるまとなって敵陣へ突っ込む手筈だったのである。百たたきの刑は、投降を信じさせるため体を張った策で、「苦肉の計」と呼ばれるものだった。この作戦が図にあたり、曹操の船団はいっせいに炎上、大敗北を喫して北方へ逃げかえることとなる。

たびたび映像化もされた、「赤壁の戦い」最大の見せ場だが、あまりに小説的だとも言えるだろう。筆者はかつて、この部分もアレンジされたものだと思っていた。いささかドラマチックすぎるように感じたのである。

が、周瑜および黄蓋の伝記には、「黄蓋が火計を進言し、いつわりの投降を申し出て、曹軍の船団を炎上させた」旨がはっきりと記されている。ディテールもかなり詳しく書き込まれており、「苦肉の計」をのぞけば、「演義」はほぼ正史を踏襲していると言えるほどだ。

いっぽう、曹操の伝記では「赤壁で劉備と戦い、負けいくさとなった」という程度の簡素な記述にとどまっているが、後代に付された註の部分に、やはり「軍船を焼かれた」とある。正史の三国志は魏を正当とする立場だから、始祖というべき曹操の伝では、敗戦の詳細を書きづらかったのかもしれない。

とはいえ、これほどはっきり敗北と軍船焼失が記されているのだから、赤壁での火計はあったと見るべきだろう。ほかにも「演義」では、兵の病になやむ曹操のもとを、孔明とならび称される智者・ほう統(「ほう」は、まだれに「龍」)がおとずれる。船団を鎖でしっかりとつなげば、船酔いから起こる病がおさまると献言するが、実は黄蓋の火計を見越し、船と船を離れにくくした上で一気に焼き尽くす策だった(「連環の計」)。この部分はフィクションだが、当時、曹軍に疫病が流行していたことは事実である。また、孔明が法術を用いて、火計に有利な「東南の風」を吹かせたという有名なくだりがあるが、実際に東南の風が吹いたことは正史にも明記されている。いずれも歴史小説として、おどろくほどたくみなアレンジと言える。

史上、あまりにも名高い「赤壁の戦い」。正史と小説の差異を検証して感じるのは、きわめて精緻な脚色の手法である。こんにち残っている「三国志演義」は、14世紀に羅貫中(らかんちゅう)がまとめたものだが、それ以前に伝えられた講釈や戯曲を大いに参照している。長い年月をかけて磨き抜かれた歴史物語の完成度に、あらためて讃嘆の思いを抱かずにはいられない。

文/砂原浩太朗(すなはら・こうたろう)
小説家。1969年生まれ、兵庫県神戸市出身。早稲田大学第一文学部卒業。出版社勤務を経て、フリーのライター・編集・校正者に。2016年、「いのちがけ」で第2回「決戦!小説大賞」を受賞。著書に受賞作を第一章とする長編『いのちがけ 加賀百万石の礎』、共著『決戦!桶狭間』、『決戦!設楽原(したらがはら)』(いずれも講談社)がある。

『いのちがけ 加賀百万石の礎』(砂原浩太朗著、講談社)

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