文/晏生莉衣
ラグビーワールドカップ、東京オリンピック・パラリンピックと、世界中から多くの外国人が日本を訪れる機会が続きます。楽しく有意義な国際交流が行われるよう願いを込めて、英語のトピックスや国際教養のエッセンスを紹介します。
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前回は包括的なフランス語への取り組みについて紹介しました。先日、火災が起こったノートルダム大聖堂は、800年にわたり、言葉も含めて人々の変わる様を静かに受け入れ続けてきたのですから、その貴重な歴史の一部が焼失してしまったことに、心が痛みます。
さて、今回も引き続き、フランスの動きについてです。フランスではここ数年、学校という教育の現場で、男女平等の価値観をフランス語に反映させようとする試みが活発化しているのに対し、政府や学界の権威がそれに反対していることは前回のレッスンで触れたとおりです。
その一方で、こんなことが起こっています。同じ学校を舞台としたジェンダー ニュートラルな言葉遣いに関して、マクロン大統領率いる与党REM(共和国前進)の議員が教育法典の条項修正案を提出し、今年2月、フランスの下院にあたる国民議会で、この条項修正を含む法案が可決されたのです。その修正案が、学校における父母の扱いを一新するドラスティックなものであることから、現在、大きな議論を呼んでいます。
どんな修正案なのかというと、親が学校に出す書類で使われている、フランス語で「父」にあたる Pèreと、「母」にあたる Mère という表記を廃止し、代わりに “Parent 1”(パロン アン:「親1」)、 “Parent 2”(パロン ドゥ:「親2」)という表記を使用するというもの。
この「パロン アン、ドゥ」という代案について、家族を表すのにはあまりに機械的だとか、どちらが「親1」になるのか、当事者間で問題が起こるし、親に序列を作りかねないとか、様々な批判が出ています。修正を提出した与党議員はその点については自覚しつつも、「まず、この問題を討論することが大切だ」という考えから修正案を提出したと発言しています。
「パロン アン、ドゥ」というちょっとシンプルすぎるような代案のほうに話題が集中してしまっている感がありますが、この修正案自体は、親が学校に出す書類に、家族の多様性を根づかせるために提出されたということです。具体的には、同性婚の親を持つという一般的でない環境に置かれた子どもへのハラスメントを防止することが、主な目的として挙げられています。
子どもへのハラスメント防止策「パロン アン、ドゥ」(親1、2)の背景は、2013年の同性婚合法化
ではなぜ、今、この修正案が必要とされるのでしょうか。背景には、2013年、オランド政権時に同性婚を認める法律が成立したことがあります。野党勢力によって違憲審査請求が出され、憲法会議の審査により合法の判断が下されたという紆余曲折を経て成立したこの法律では、性別に関係なく同等な権利を与えるという人権理想にもとづいて、同性婚だけでなく、同性カップルによる養子縁組も同時に認められました。
こうして生まれた新しい形態の家族。フランスの公的なデータによると、合法化から2018年終わりまでに、約4万6千組の同性婚カップルが誕生しています。しかし、ここにきて新たな課題が生じてきました。
同性婚と養子縁組合法化から約6年が経ち、同性婚家庭に迎えられた子どもたちが、学校に入学し始めています。理想から現実に目を向けると、こうした子どもたちは、学校入学時だけでなく、授業登録や給食、行事参加に関する親の同意や許可など、様々な場面で親のサインが必要となるたびに、ハラスメントの危険にさらされるという状況が待っていました。フランスは今、同性婚の親を持つ子どもたちを学校での差別やいじめから守るという、合法化のフォローアップケアが求められる時期に差しかかっているのです。
同性の親が「父」「母」を選ばなければならないというジレンマへの考慮もありますが、なによりも子どもたちが萎縮したり、傷つけられたりする状況を作らない、差別を許さない、そして、伝統的な家族環境で育つ子どもたちと同様にのびのびと学んでほしい。修正案の裏に込められたそうした願いは、ジェンダー ニュートラルな代案には批判的な議員にも伝わったようです。修正案は、無事、下院を通過するに至りました。
振り返れば、同性婚合法化はゴールではなく、始まりだったのです。「パロン アン、ドゥ」 というアイディアは、同性婚合法化の際にも議論上にあったものの、この時は反対が大きく、法律には含まれませんでした。
国の議論をよそに、「アン」「ドゥ」表記の使用はすでに始まっている
懸案となっている「パロン アン、ドゥ」ですが、実は、別の分野の公的サービスで、すでに使用されています。日本人旅行者にもおなじみの高速列車TGVなどを運営するフランス国鉄SNCFは、3人以上の未成年の子どもを持つ家族への割引サービスを設けており、その申し込みフォームには、ご覧の通り、Parent 1、Parent 2、という表記があります。
この表記は、同性婚合法化以前の2010年から始まっていて、SNCFによると、「中立的な公共サービスの原則に則って、シングルペアレントや後見人など、両親でなくてもこのサービスを利用できるようにするためのもので、同性婚合法化の議論とは無関係」だということです。(但し、性別は男性、女性のどちらかを選ばなければならないので、今のところ、ジェンダークィアへの配慮は含まれていないようです。)
同性婚合法化に直接結びついた「アン、ドゥ」の表記の前例としては、確定申告のフォームでの使用があります。フランスでは世帯ごとに確定申告が必要なのですが、正式に結婚しているカップルやPACSという契約を結んでいるカップルは、一つのフォームを使って共同で申告することになります。PACS(Le pacte civil de solidarité:パックス)とは、正式な結婚に近い社会保障や税などの権利が得られる公的制度で、「連帯市民協約」、「連帯民事契約」などと訳され、日本でもご存知の方は多いことでしょう。1999年から始まったPACSによって、正式な結婚を選ばない男女のパートナーが増えていますが、PACSは、もともとは同性カップルに異性カップルと同様の権利を保障するために作られたものでした。
つまり、異性カップルも同性カップルも同じ確定申告用フォームを使うのですが、そのフォームには、申告者を指して、Vous(貴方、貴殿)と Conjoint(配偶者)という表記が使われていました。それが、同性婚が合法化された年から、“Déclarant1”(申告者1)、“Déclarant2”(申告者2)という表記に変更されたのです。(補足の話として、フランスでは2019年から源泉徴収制度が始まり、給与所得者は基本的に確定申告をしなくて済むようになります)
「親」ではなく、「所得の申告者」に関する表記なので一概に比較はできませんが、「夫妻をジェンダー ニュートラルな用語で1、2としてもよいが、父母はダメ」というのはいかなる根拠によるのか?と、「パロン アン、ドゥ」への反対意見に対するさらなる反論も聞かれています。
そして、他にも、別の前例があるのです。これは、「親1」「親2」という「パロン アン、ドゥ」の表記そのものの使用についてです。すでに、地方によっては、「パロン アン、ドゥ」を取り入れている自治体や学校があり、そうしたエリアの住民や学校関係者にとっては、今回の騒ぎは、「なにをいまさら? という感じ」なのだそうです。首都パリの議会でも、1年前の2018年春に、出生届などの書類にある「父」「母」の表記をなるべく早い時期に「パロン アン、ドゥ」に変更するという議員要請が、全会一致で採択されています。
多様性を受け入れ、粛々と対応しているこのような事例を知ると、花の都のブルボン宮殿(下院議事堂)でのヒートアップした議論は、国政が一番遅れていることの証のようにも見えてきてしまいます。「ジェンダー ニュートラルな親」の表記が、国家的な判断でフランスの学校で広く導入されることになるかどうか、修正案はリュクサンブール宮殿(上院にあたる元老院議事堂)へと場を移し、議論されることになります。
文・晏生莉衣(あんじょうまりい)
東京生まれ。コロンビア大学博士課程修了。教育学博士。二十年以上にわたり、海外で研究調査や国際協力活動に従事後、現在は日本人の国際コンピテンシー向上に関するアドバイザリーや平和構築・紛争解決の研究を行っている。