
かつては客席から正面を撮影することが主流だった演芸写真の世界に、舞台袖から高座姿を狙うという手法を投じた橘蓮二(たちばな れんじ)さん。舞台袖という、客が見ることのできない場所から撮るだけに、臨場感あふれる姿、ふとした仕草や意外な表情など、演者おのおのの人間味を色濃く写し出している。
蓮二さんが落語、講談、浪曲、漫才、紙切り、音曲、太神楽といった演芸に魅了されたのは30年前のこと。気鋭の若手写真家に数えられていたものの、仕事が減り、自らの道の行く末に悩んでいたときだった。
「写真家を廃業する潮時か。ほかの仕事を探さなきゃいけないのか……」といった状況で、たまさか足を運んだ上野鈴本演芸場でのこと。最前列の下手(客席左側)に座っていた蓮二さんからは上手(客席右側)から登場する演者の様子がよく見えた。
「芸人さんの楽屋はどんな雰囲気なのか」と思い、表には見えない様子を撮りたいとツテを頼り、鈴本の扉をたたき“演芸写真家”という道が開いたのだ。
演者のリアルな姿が浮かぶ
蓮二さんがはじめて楽屋に入ったのは1995年5月のこと。亡き五代目柳家小さん、古今亭志ん朝も健在、柳家小三治や立川談志も60歳を前に活躍していた。現在のようにSNSなどで落語家自身が日常をアップするような気楽な時代ではない。
「師匠方はみな近寄りがたく。楽屋への出入りが許されたとはいえカメラを向けるのは憚られました。撮影のきっかけがつかめず、廊下に座り続ける僕にやさしく声をかけ、ほかの芸人さん方に紹介してくれた先代の古今亭圓菊師匠のおかげで、緊張で凝り固まっていた僕の気持ちは救われました」



新刊では104名(組)の落語家、講談師、色物など演芸の人々を掲載。今、破竹の勢いで活躍する桂二葉さん、名実ともに人気者で実力派の春風亭一之輔さんをはじめ、人間国宝である五街道雲助さんなど、いずれのカットも蓮二さんの熱い眼差しで捉えた姿だ。
次第に楽屋での撮影だけでなく舞台袖にも赴き、現在の撮影手法ができあがる。暗いバックにライトを浴びて浮かび上がる演者の姿を映し出す写真は演芸ファンの心をつかみ、今や多くの芸人たちからも撮影を請われる存在だ。
そんな蓮二さんの30年の集大成ともいうべき写真とエッセイがふんだんに詰められた写真集、その名も『演芸写真家』が刊行。押しも押されもせぬ人気者たちの一葉とエピソード、そして演芸を愛し続ける真摯なる、蓮二さんのメッセージが凝縮されている。



橘 蓮二『演芸写真家』

四六判、256ページ、小学館
30年前の上野鈴本演芸場の楽屋から最旬の舞台と楽屋裏までを鮮烈な写真と鋭い考察、愛にあふれたエッセイで綴った一冊。さだまさしさんの寄稿も必読。
写真提供/橘 蓮二 取材・文/山﨑真由子
