■ものごとの良い面を見る
上野さん兄妹はシングルだ。兄はバツイチだが、子どもはいない。
「孫の顔を見せてやれなくて、親不孝だとずっと思っていましたが、私が身軽に静岡と東京を行き来できるのも、夫や子どもがいないから。父も『お前に子どもがいなくてよかった。いたらここまでやってもらえなかったよ』と感謝してくれました。そう考えると、親孝行できたのかなとも思っています」
ものごとの良い面を見ることができるのは、上野さんの性格なのかもしれない。こんな話もしてくれた。
人手不足で、静岡でもデイサービスの職員が集まらず、これまで両親が利用していたデイサービスでも土曜日の営業ができなくなったという。
「やむなく、土曜だけ別のデイサービスに行くことになりました。ただ、そのデイサービスでは夜の食事として、お弁当をつくってくれるんです。もちろん1食500円ほどはかかりますが、仕出し弁当ではなくちゃんとデイサービスの厨房でつくったお弁当です。ものすごくおいしいわけではありませんが、そのお弁当があるので、土曜の夜は私が食事をつくらなくて済むんです。父も本当は私がつくったものを食べたいと思っているはずですが、お弁当があれば私がラクできるとわかっているので、『今日はお弁当をもらってくるからね』と言ってくれる。こんな些細なことでも、介護をしている人にとってはありがたいんですよね」
上野さんの言葉に共感する人は多いだろう。
トキ子さんは認知症が進んでいるとはいえ、まだ上野さん兄妹の顔と名前は忘れていない。それも上野さんにとってはうれしいことだ。
「しばらく静岡に滞在しているのに、『おはよう』と私が言うと、毎朝『来てたの?』と驚くんです」
そんな小さなやり取りも、トキ子さんの残り時間が少なくなっている今は、大切なひとときなのだ。
取材・文/坂口鈴香
終の棲家や高齢の親と家族の関係などに関する記事を中心に執筆する“終活ライター”。訪問した施設は100か所以上。20年ほど前に親を呼び寄せ、母を見送った経験から、人生の終末期や家族の思いなどについて探求している。