何でも自分でするしかなかった分、すべてに計画を持つことができた
子育てに興味のなかった両親。そこで気になったのは弟の存在です。両親は子供に興味がなかったのか。または仁美さんにだけだったのでしょうか。
「弟にも同じことを言っていたのかは知りません。小さい頃は弟も親から放任で育てられていたから、私が弟の世話をすることもあったんですが、弟が大きくなってからは何かを一緒に行動した記憶があまり残ってなくて。でも実は今も弟は実家に居るんです。だからもしかしたら『早く出て行って』とは言われてなかったのかもしれませんね」
仁美さんが高校生の頃には家族はバラバラ、夫婦でいう家庭内別居の状態だったそう。さらには、その他の親族、祖父母との関係もまるで交流がなかったと言います。
「私の家はおそらく父親の仕事で埼玉に引っ越してきていたので、親戚は全国バラバラのところにいて、祖父母も九州と関西にいたので、まったく交流はありませんでした。私が学生でまだ実家で暮らしている時に母方の祖母が亡くなったんですが、家族葬には母親しか参加しませんでしたから。私の家にはあまり写真がなかったので、祖母の顔もうろ覚えで……。従姉妹とも小さい頃に会ったきりですね」
みんなが当たり前にあるような家族行事さえなかったという仁美さんの家庭。しかし感謝していることもあるのだとか。
「大学まで行かせてもらえましたから。私の時はほとんどが進学でしたが、家庭の金銭的な事情で高校を卒業後に働く友人もいました。私は大学に行きたいことを反対は一度もされませんでした。それに小さい頃からずっと自立することを促されていたので、子供心ながらなんとなく勉強を頑張っていい学校に入らなければという使命感があったんです。親から成績を確認されることはなかった分、自分で追い込まないといけないと、勉強する意欲も自然に湧いてきました。高校生の時には塾にも通わせてもらいましたよ。ずっと共働きなこともあって、お金に困っている印象はないですね」
大学に進学後にはアルバイトを始め、4年後の自立に向けて必死にお金を貯めていき、卒業する少し前に一人暮らしをスタートさせます。
「少し早めにスタートさせたのはお金の都合です。みんなが引越しする少し前のほうが家賃が値上がりする前の金額で契約できるし、その頃から大学で一人暮らしをしていた友人が実家に戻ったり、同棲を始めたりで、処分する前の家電や家具をもらえたんですよ。一人暮らしと就職を同時に経験するよりも別々に経験するほうが何かあっても対応できるとも思いましたし。リスク回避です」
一人暮らしを始めてからは家族との関係はより淡白に。物理的な距離も重なり、前よりも親を求めてしまうこともあったそうですが……。【~その2~に続きます。】
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。