父親の顔色ばかりを伺っていた。素直に甘えられる妹が羨ましかった
寡黙な父親だったとのことですが、家族をよく色んなところに連れて行ってくれていたそう。父親は全員参加にこだわるところがあり、いつでも家族5人での行動が義務付けられていたと語ります。
「父親は大学時代に山岳部に所属して、とにかくアウトドア好き。家族で冬はスキー、夏はキャンプなど色んなところに連れて行ってくれました。キャンプの時も家族で男手は父親一人なので、テントを張ったり、火をおこしたりするのもその時は率先してやってくれるんですよね。
父は全員参加というところに強いこだわりがあり、娘たちが思春期に入って行きたくないと言っても絶対にダメで。中学、高校に入ってからもしばらくは家族行事には強制参加です。先ほど話したご飯の時間も、全員揃わないといけなかった。しかも晩だけではなく、朝でも全員集合です。父親が仕事で早い時なども私たちが合わせて一緒に食事をとっていました。なぜそこまで全員というところにこだわるのか。そこは今でも全然わからないところなんですけどね(苦笑)」
厳しい父親とは違い、母親は優しく、姉妹の仲も良好。父親のいない女性だけの空間は平和そのものだったそうです。
「母親は家事が好きで上手で、私たちに直接厳しいことを言うことはありませんでした。何か悪いことをすると、『お父さんに怒られるよ』と逆に心配していたほど。妹たちとは、3つ下の妹とはケンカもよくしたけど、6つも下ともなると気持ちは母親です。一番下とはケンカになることなんてほとんどなかったですよ。それに母親は一人っ子で兄妹ゲンカに免疫がないのか、私たちがケンカをすることをすごく嫌がるんです。母親の辛そうな顔を見たくなくて、真ん中の妹とのケンカも減っていきましたね」
勉強については父親から厳しく成績をチェックされていた景子さん。厳しく躾けられる自分と違い、一番下の妹に優しい父親の態度にもやもやしたこともあったとか。
「私は通信簿を見せて、父の期待にこたえられなかった時は反省会がありました。高校、大学も父親が決めたところ以外はダメだったし、それに合わせて必死で勉強していましたよ。私は常に父親の顔色を伺うだけだったのに、一方で一番下の妹は甘え上手で、父の懐に入るのがうまい。居間でゆっくりしている父親の膝に座り、お願い事をしている姿をよく見ていました。私は父の膝の上に座ったことなんて一度もない。怒られることばかりで、あんなふうに優しく頭を撫でられた記憶もない。そのもやもやした気持ちは父親を無視することでしか保つことができませんでした」
妹への父親の態度、そして反抗期も重なり、次第に父親を避けるようになった景子さん。しかし人生に迷いが出た時、一番力になってくれたのは父親でした。
【~その2~に続きます。】
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。