高校進学直前で父の単身赴任が決定。離れて暮らす父親が帰宅した時はいつも嬉しかった
真世さんはずっと勉強が苦手で、学校の成績もイマイチだったそう。しかし両親からはまったく勉強しろとは言われませんでした。
「まったく無関心でした。父親なんて、私の成績なんて一度も知らないんじゃないかな。母親には一応通信簿は見せていましたよ。私は典型的な副教科が得意なタイプで五教科は全滅。落ちこぼれるほどではなかったけど、高校受験は必死だった記憶があります。受験では家庭教師をつけてもらっていました。でも、近所の知り合いの家の人だったので、そんな高額なものではなかったと思います。どんな勉強をしたのかはあまり覚えていないんですが、いつも勉強終わりには母親が手作りしてくれたケーキやお菓子が出たので、受験シーズンに5キロくらい太ったことだけは鮮明に覚えています(苦笑)。しかも勉強を教えてくれていたのは女性の方だったんですが、その人も見てわかるくらい短期間で太りましたね。とてもおいしかったから、本当に魔のスイーツでしたね……(苦笑)」
高校に無事合格でき、いざ進学となった時に父親の転勤が決まります。両親が話し合い、父親は単身赴任で九州に行くことに。そこに少なからず罪悪感があったと言います。
「私のせいで家族をバラバラにした気持ちが少しありました。地元を離れたくない気持ちが強かったし、私たちに報告された時には父親が九州に行くことになったと事後報告だったので引越しを迷うということはなかったんですが……。引越しは春休みの時期に。家には父のものなんて数えるぐらいしかなくて、普段からそんなに会話をすることもなかったから普段の生活に大きな変化はなかったのに、妙に寂しかったですね」
高校を卒業後は家から通える会社の事務の仕事を始めます。その時家を離れなかったのにはある理由がありました。
「長女の性なんですかね。家が女性だけになって、妹もまだまだ中学生で、自分がしっかりしないといけないと思ったんです。父親は2~3か月に1度くらいのペースで帰ってきていたんですけどね。今まで感じなかったけど、父親が帰って来るとホッとしていた記憶が残っています。やっぱり頼りにしていたんだなって再確認した感じです」
九州で離れて暮らす父親の病気が発覚。療養として単身赴任から戻ってきた父親に一人暮らしを勧められます。そして30歳手前で父親は帰らぬ人となり……。
【~その2~に続きます。】
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。