取材・文/ふじのあやこ
家族との関係を娘目線で振り返る本連載。幼少期、思春期を経て、親に感じていた気持ちを探ります。~その1~はコチラ
今回お話を伺ったのは、大阪市外の企業で働いている真世さん(仮名・37歳)。大阪府出身で、両親と5歳下に妹のいる4人家族。高校生の時に父親は単身赴任で九州に行ってしまいます。3人で暮らす中で長女としてしっかりしなくてはという自覚が芽生え、就職後も実家での生活を続けます。
「母親は明るい人で、家事などもできたんですが、どこか頼りない、一人にしておけるタイプじゃないというか。母親は父親に対してずっと敬語だったのでどこかよそよそしい感じはあったんですが、それでも母親は父親のことが大好きなんだろうなって感じることはたくさんありました。九州から帰って来た父親の世話をする母親はどこか嬉しそうだったし、父親が帰って来る時は家なのに少し身なりがキチンとしていましたから」
父の病気が発覚して、その数か月後に自宅に戻ってくることに。今までとは違う父親の姿が少しショックだった
真世さんが就職して4年目に父親の病気が発覚。初期の胃ガンですぐに手術が行われたと言います。
「会社の健康診断で発覚したみたいで、最初は私たちには内緒にされていました。父がそうしろって言ったみたいなんですが、母親はすぐに話してきましたね。きっと自分だけで処理できなかったんでしょう。手術の時には母親はしばらく九州に行き、家は私と妹だけになりました。大事にしたくないからと家に残るように言われたんです。その時に母親は近所に住む自分の妹、私の叔母に私たちの面倒を頼んだみたいで、よく叔母が来てくれていました。当時私は22歳。まだまだしっかりしていない子供だと思われているんだなって少しショックだった記憶が残っています」
父親の手術は無事成功するも、母親は1か月以上九州で過ごしていたそう。そして母親が戻ってきてから数か月経った後、父親が大阪勤務に戻り、再び4人での生活が始まります。
「父の勤める会社の人の配慮で、また4人で暮らせることになったんです。父親は胃の3分の2ほどを切除していて、やっぱり痩せてきていたんですよね。
戻ってきてからの父親は大好きだったウイスキーの時間もなくなっていて、居間でボーっとする時間が増えていた気がします。先代の犬は私が高校生の時に亡くなっていたんですが、再度犬を飼い始めたのはちょうどその頃でした。今回は母親の希望で犬を飼うことになったんですが、単身赴任に行く前は考えられなった犬の散歩にも父親は率先して行くようになりました。今までとは違い、仕事から帰って来る時間も早くなっていたんですよ。今思うと、ずっと仕事人間だった父からすると少し辛い時期だったのかもしれません。時間を持て余していた感じがしていました」
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