兄が独立してお店を起業。兄に会いたい一心で、家族でお店に入り浸った
お兄さんは高校卒業後に、知り合いの飲食店に就職。唯さんが中学生の時に実家を出て行ってしまいます。お兄さんがいなくなってからしばらくは家の雰囲気がどんよりしていたと言います。
「みんな兄のことが大好きだったんですよ。家族全員が止めたかったけど、就職で男の子でとなったら、一人暮らしに反対する理由がないですよね……。兄が出ていってからしばらくは家の雰囲気はどんよりしていましたね。一度両親がともに仕事終わりにケーキを買って帰って来てくれたことがあったんです。2人して家の雰囲気を明るくしようとしたみたいで。誰が誰を慰めようとしているのかまったくわからない感じになってしまったんですが、みんなで笑いながら1人4個というケーキのノルマを必死で食べた記憶が残っています」
唯さんは高校を卒業後はグラフィックデザインなどが学べる専門学校へ進学。2年後には制作会社でデザイナーの仕事を始めた時、お兄さんが地元で飲食店を始めます。
「兄は実家から3駅ほどのところに先輩と飲食店をオープンさせて、店長になりました。そこから両親と私の3人で兄の店に入り浸るようになりましたね(笑)。兄のお店は和食がメインの居酒屋で夜中まで営業していたので、お店に長居して終電を逃してしまうことがよくあり、その度に兄に車で送ってもらっていました。兄のお店のメニューは私がデザインしたものなんです。初めて兄の役に立った感じがして嬉しかったですね」
しかし兄のお店に行くことができたのは最初の頃だけ。後に仕事が忙しくなった唯さんは体調を崩し、入院することになったそう。
「髄膜炎になってしまって。ずっと熱が下がらなかったのに、解熱剤でだましだまし仕事をしていたのが悪かったんですよね。職場からの帰りに倒れてしまって、そのまま入院することになりました。
実は私は元々あまり体が強くなくて、小さい頃に何度か入院したこともあります。それは幼稚園ぐらいまでのことで、大人になるとすっかり元気になったから忘れて無理しちゃったんですよね。小さい頃あんなに心配をかけたのに、私はまた家族に心配をかけてしまって。でも、辛い時こそ支え合うのが家族なんだなって、兄のお店のこと、そして私の妊娠が家族の絆をより強いものにしてくれました」
軌道に乗っていたはずの兄のお店が閉店。そして、唯さんの一度目の妊娠。辛いことを乗り越えられたのは家族がいたから。
【~その2~に続きます。】
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。