「逆賊」「謀反人」「主君殺し」などと語られてきた戦国武将、明智光秀。
主君・織田信長の英雄譚は歴代大河ドラマの中でも幾度も描かれてきたが、こと光秀に関しては、常に負のイメージがつきまとってきた。だが、それは本当に光秀の実像だったのだろうか。 最新の研究では、光秀は、織田家の出世頭のエリート武将で、和歌などにも造詣が深く京の公家とも対等に渡り合える風流人としての側面もあったことがわかっている。『麒麟がくる』で光秀を演じる長谷川博己は、まさに本来の光秀のイメージにぴったりの配役といえるだろう。その長谷川が意気込みを語った。
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明智に関してはいろいろな説がありますよね。やっぱり反逆者として信長を殺したという悪いイメージがあったり、そうじゃないという説もあったり。それをどう演じるかというのがすごく楽しいです。見る人によって、これじゃないって思う人もいれば、求めていた光秀像はこれだって思う人もいるでしょうし、賛否があるでしょうから、そういう役を演じる怖さもあります。いずれにせよ、何かが起きるんじゃないかという楽しみを感じながらやりたいなと思っています。
光秀を演じるにあたって、『国盗り物語』や『黄金の日日』など、過去の大河ドラマも見ましたし、資料もたくさん読みました。学んだ知識はもちろん演じる上で自分の血肉になっているとは思いますけど、そういうものをすべて無にした状態で現場に挑んでいます。なぜ今、明智光秀が必要なのか、というものを感じられるドラマになっているのではないかと思います。
光秀というのはもしかしたら、今の時代に必要な新しいヒーローなのかなと思ったりしています。上司に対してずばっと正直なことをいう時はいうし、知性と品性で突き進む人物像。今の世の中にこういう人がいたらいいなって、僕なんかは思うんですけど。
みんなが知っている、本能寺の変を起こした明智光秀から逆算して考えないようにしています。普通のひとりの青年として物語は始まります。普通の人間として、自分の美濃という国を守りたいという気持ち、自分の血筋を大事にしたいという気持ちが根本にあるのだと思います。そういう意味で共感できるし、光秀にはそれを実行していく力があったのではと感じます。
池端俊策先生の脚本は本当に繊細で、なかなか一筋縄ではいかないというか。白黒はっきりしているというよりは、淡い色合いが流れていて、行間で多様な意味合いに変わっていくという印象です。
とにかく、光秀は黙っている。「……」がものすごく多いんですよ。何か道三に無茶なことをいわれても「……」、帰蝶に何かいわれても「……」。そこを僕が埋めなきゃいけない。
演じていて、楽しくもあるんですが、難しくもあるんです。これはこういうことだから、この感情だな、と演じるのが正解とは限らないので。光秀は選択を強いられることがすごく多いんですが、そういう時にまた「……」。池端先生にその話をしたら、選択を迫られた時の答えは、五分五分だと思うよといわれました。どっちも可能性があるけど、その時に瞬発的に決めている可能性があると。だから、決めつけて演じるのではなく、現場の瞬発力がものすごく要求される光秀になっている感じがしますね。
池端先生が描かれる光秀は、あの戦国時代という時代の中で、戦が嫌いなんです。人を殺したくない、平らかな世の中にしたいという思いがあります。そこはぶれないんですね。語られない部分も含めて、『麒麟がくる』を通して、新しい明智光秀像をお見せできればと思っています。
文/『サライ』歴史班 一乗谷かおり