一時休止中の『麒麟がくる』の代替番組第二弾は『国盗り物語』名場面。平幹二朗の斎藤道三、若き高橋英樹が演じた織田信長。21歳の松坂慶子が演じた濃姫(帰蝶)……。47年前の名作大河ドラマを振り返る。
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ライターI(以下I):『国盗り物語』は昭和48年放送ですから、私の生まれる前の作品になります。ですから私、オンデマンドで総集編しか見ていません。
編集者A(以下A):私もリアルタイムでは視聴していません。『国盗り物語』が放映された昭和48年は、前年の7月に田中角栄政権が発足したばかり。〈今太閤〉ともてはやされましたが、オイルショックに襲われて世情は不安定だったようです。ドラマの登場人物ですが『麒麟がくる』と重複する部分が非常に多いです。
I:『麒麟がくる』では、ドローンによる合戦シーンの撮影が話題になりましたが、『国盗り物語』は初めてハンディカメラ(手持ちカメラ)が撮影に使われた作品のようです。
A:同じ昭和48年に公開された『仁義なき戦い』も手持ちカメラでの撮影で臨場感を出したことが知られています。当時の最新トレンドだったのでしょう。
I:Aさんは任侠物とかヤクザ映画とか好きですよね。『国盗り物語』の前半の主人公は斎藤道三。平幹二朗さんが演じていました。平さんは当時40歳。SNSなどで、〈『国盗り物語』の平幹二朗の方が重厚だった〉みたいな投稿がごく少数ながらあったりしましたが、『麒麟がくる』で道三役を演じた本木雅弘さんが54歳。実は本木さんの方が当時の平さんより年上なんですけどね。
A:若いころ、特に少年少女時代に見た人の記憶は美化されがちです。かくいう私も初めて通しで見た『草燃える』は大げさにいえば神格化されていて、今でも源頼朝=石坂浩二、北条政子=岩下志麻、源義経=国広富之です。ですから、後年、水曜ドラマで『武蔵坊弁慶』、大河でも『炎立つ(第三部)』(1994年)、『義経』(2005年)、『平清盛』(2012年)で源平時代が扱われましたが、なかなかなじめませんでした(笑)。
I:ということは、本木さんより平さんの道三が重厚だったという人は、美化された記憶を思い出しているということですか?
A:いやいや、そんな単純な話でもないのですが、昭和の道三、令和の道三いずれも歴史に名を刻む名演だったと思います。そういう話題が出るほど、大河ドラマというのは長い歴史を有し、思い入れの強い視聴者が多いということでしょう。
I:『国盗り物語』では、織田信長が高橋英樹さん(当時29歳)、濃姫が松坂慶子さん(当時21歳)でした。『麒麟がくる』でも信長、帰蝶の膝枕シーンがありますが、『国盗り物語』でも膝枕のシーンが登場します。この夫婦の膝枕シーンはほかの大河ドラマでも描かれていますから〈お約束化〉されているといっていいでしょう。館ひろしさん演じる信長(『功名が辻』=2006年)も和久井映見演じる濃姫との膝枕シーンがありました。
A:高橋英樹さんは今でこそ大御所ですが、『国盗り物語』当時はまだ若手の範疇。実は『麒麟がくる』の染谷将太さんとは2歳違い。リアルタイムでドラマを見た当時の若い人にとって、信長=高橋英樹を強く印象づけられたのではないでしょうか。
I:道三、信長以外にも錚々たる面々が登場していました。光秀は近藤正臣さん、秀吉は火野正平さん、家康が寺尾聡さん、武田信玄が大友柳太郎さんなどです。火野正平さんは希代の人たらし=秀吉を演じるということで、人使いを身につけるために身元を明かさずに果物店に3カ月も勤務したといわれています(出典『NHK大河ドラマの歳月』(大原誠著/1985年)。
A:『国盗り物語』は、大河第11作目ですが、それだけ力を注ぐべき舞台という認識が定着していたのでしょう。もっとも今でも主要キャストは乗馬や殺陣の稽古は必須ですし、所作なども苦労するそうですから、役作りは大変なんでしょう。
I:高橋英樹さんが『NHK大河ドラマ大全 50作品徹底ガイド』(NHK出版/2011年)のインタビューで〈時代劇には衣装をはじめ日本の文化や学ぶべき歴史もたくさん詰まっています。そんな原点を失わないためにも、時代劇や大河ドラマが続いていくことには大きな意味があると思っています〉と語っています。
A:高橋さんは、『竜馬がゆく』(1968年)の武市半平太役を皮切りに、大河ドラマ9作に出演しています。1991年の『翔ぶが如く』で島津久光を演じ、2008年の『篤姫』では島津斉彬を演じました。石坂浩二さん、西田敏行さんと並んで〈大河の大御所〉ですね。
I:さて、せっかく『国盗り物語』の名場面が放映されるのですから、ぜひ比較してほしいことがあります。
A:かつらのことですか?
I:はい。そうです。本木雅弘さんが演じた斎藤道三、後半は入道姿でしたが、頭は本当に剃り上げたようでしたよね。実際には剃っていないのに、かつらと皮膚との境目がまったくわかりませんでした。
A:特殊メイク担当の江川悦子さんに話を伺ったのですが、スキャニングで役者さんの頭部の型をとり、3Dプリンタで型を出して、その頭の形に添ってラテックス性の羽二重、通称ラテ羽二を作るそうです。道三のような坊主頭など、毛を剃ったあとのうっすら青く見えるような青ぞりの部分も、べた塗りにならないように粒で何色か飛ばして、よりリアルに見せるように工夫しているとおっしゃっていました。首の裏のたるもも、それぞれの役者の体格なんかを見ながら細かく再現しているから、違和感がないんでしょうね。
I:以前はいかにもかつら!って感じでしたものね。4D映像で細部までキレイに見えすぎるくらいなのに不自然さがなく、本物みたいだからそっちに気を取られず物語に集中できるんですよね。
『麒麟がくる』の新展開の予習となる『国盗り物語』の名台詞
A:『国盗り物語』には、『麒麟がくる』後半戦の予習に最適な台詞が出てきます。その部分を抜粋したいと思います。将軍義昭と光秀のやり取りです。
(ナレーション)足利義昭を第15代将軍に立て上洛を果たした信長に対し、諸国に反信長同盟の網が張り巡らされた。この陰謀の中心人物は将軍義昭その人である。
(義昭)信長は倒れるぞ。わしの合図ひとつで摂津石山の本願寺が立ち上がる。それを中国の毛利が後押しをする。と同時に北方から越前兵が攻め下る。越後の上杉、甲斐の武田も信長を倒すことで意見がひとつになった。近江の叡山もわしに力を貸す。
(光秀)上様、さような火遊びはおやめあそばしませ。
(義昭)ふっふっふっ 火遊びなものか。信長めに征夷大将軍がいかにおそろしいものであるか見せてやる。
I:俗にいう「信長包囲網」をわかりやすく説明していますね。元亀の3年間(1570~1573)、信長は相当窮地に陥りました。ところで、『国盗り物語』では、本能寺の変はどのような展開になったのでしょうか。
A:比叡山延暦寺焼き打ちの際に光秀が信長を諫める場面もありました。それに対する信長の怒りは強かったのが印象的です。実際には光秀も比叡山攻めに参加しているわけですが……。で、本能寺の変ですが、領国の近江、丹波を取り上げられて石見、出雲を与えるというのが光秀にとって決定打になったという描写でした。
I:本能寺の変の動機に関する研究が進展したのは平成に入ってからですものね。
A:その研究を牽引してきたひとりが三重大学の藤田達生教授です。今年の元日にNHK BS1で放映された『本能寺の変サミット』でも議論をリードしていました。
I:光秀と秀吉の派閥争い、足利義昭と鞆(とも)幕府など、藤田先生の著書『明智光秀伝』には『麒麟がくる』後半戦のヒントが詰まっているような気がします。
A:いずれ当欄にもご登場いただきたいですね。
●ライターI 月刊『サライ』ライター。2020年2月号の明智光秀特集の取材を担当。猫が好き。
●編集者A 月刊『サライ』編集者。歴史作家・安部龍太郎氏の「半島をゆく」を担当。初めて通しで視聴した大河ドラマは『草燃える』(79年)。NHKオンデマンドで過去の大河ドラマを夜中に視聴するのが楽しみ。編集を担当した『明智光秀伝 本能寺の変に至る派閥力学』(藤田達生著)も好評発売中。
構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり