取材・文/藤田麻希
絵本画家・いわさきちひろ。絵本やカレンダーなどで、一度はその作品を目にしたことがある人も多いのではないかと思います。亡くなってから40年以上経ちますが、本の販売は続き、日本のみならず、欧米やアジアの言語にも訳され、世界中で親しまれています。
ちひろは、一貫して、子ども、花、その母親などを描いてきました。その作品は、水彩絵具のにじみを活かした偶発的な美しい色、輪郭線なしでかたどられる形が特徴で、「やわらかい、やさしい、かわいい」などと形容されてきました。
しかし、そんな作品のイメージとは違い、ちひろは絵描きとしての並々ならぬ気概を持って作品制作に挑んでいました。ちひろの言葉を引用します。
「この童画(児童のために描いた絵)の世界からは、さし絵ということばをなくしてしまいたい。
童画は、けしてただの文の説明であってはならないと思う。その絵は、文で表現されたのと、まったくちがった面からの、独立したひとつのたいせつな芸術だと思うからです」(「なかよしだより」(講談社)455号(1964年10月)より)
童画は、文章に従属する「挿絵」ではなく、文章から独立した状態でも1枚の絵としてメッセージを発するものなのだと言っています。たしかに、ちひろの絵は、絵本のストーリーから切り離されていたとしても、十分成立します。
至光社という出版社から刊行された絵本(『あめのひのおるすばん』『あかちゃんのくるひ』『となりにきたこ』『ことりのくるひ』『ゆきのひのたんじょうび』『ぽちのきたうみ』)は、ちひろが絵と文章の両方を担当し、やりたいことにとことん挑戦できたシリーズです。絵と文を説明的になりすぎないようにしながらも、たがいに響き合うように工夫されています。上に掲載した「引越しのトラックを見つめる少女」は、そのシリーズの1枚です。
この作品で気づくのは、ちひろが、パステルを使って線を主体に描いていることです。パステルは色鉛筆などに比べると太く、細かい描写ができないのですが、その荒っぽさが作品に面白みを与えています。輪郭線を描かないイメージのちひろですが、現在よく知られている技法にたどり着くまで、じつは何度も描き方を変えています。油絵や不透明水彩で描いたり、モノトーンを主体にしたり、線をメインにしたり、さまざまです。
そんな、ちひろの線が、徹底したデッサンの基礎をもとに引かれていることも忘れてはなりません。ちひろは、美術大学は出ていませんが、14歳から17歳の頃まで、洋画家の岡田三郎助に師事して、毎日のようにアトリエに通って、石膏像やモデルを使ったデッサンを繰り返し、立体物を二次元の平面に落とし込む訓練をしていました。30歳代のときに描いた「ヒゲタ醤油広告」からも、その片鱗は伺えます。少ない筆数ながら、適格に人体の動きを捉えています。ちひろは、赤ちゃんを描く時は、月齢に応じて、顔つきや仕草まで描き分けていたそうです。
そんなちひろの画業に焦点をあてる展覧会が、現在、東京ステーションギャラリーで開催されています。本展を担当した成相肇さんは、次のように展覧会の構成、そしてちひろの作品の魅力について語ります。
「今回の展覧会はなにか奇抜なことをやったわけではなく、美術館で一人の絵描きを紹介するときの通常の方法で構成しました。一人の絵描きがどういう足跡をたどって、どういう作品をつくったかということを、ごく素直にまとめた展覧会です。ですが、その素直さが、案外今までやられていなかったかもしれません。
ちひろさんの絵本の登場人物は、一般的な絵本と違い、キャラクターがほとんど確立していなく、あまり個性がありません。おそらく、ちひろさんの絵本の登場人物の人形をつくろうとしてもできないと思います。しばしば登場する「ちーちゃん」という女の子は、ちひろさん自身であるようにも思えますが、個性がおさえられていることによって、読者はキャラクターの方に目が寄せられるのではなくて、だんだんと、海のにじみやぼかし、絵の具の動きの方に目が行くようになります。そんな、抽象性の高いところがちひろさんの絵の面白いところですし、画期的なところだと思います。絵の具の動きや、筆で描いた不定形な形の面白さも楽しんでいただければと思います」
ぜひ、線や形をとらえる技量などに注目して展覧会をご覧ください。「ふんわり、かわいらしい」といった言葉で語られることが多い、ちひろについての、画家としての新たな側面が見えてくるはずです。
【生誕100年 いわさきちひろ、絵描きです。】
■会期:2018年7月14日(土)~9月9日(日)
■会場:東京ステーションギャラリー
■住所:〒100-0005東京都千代田区丸の内1-9-1
■電話番号:03-3212-2485
■公式サイト:http://www.ejrcf.or.jp/gallery/
■開館時間:10:00 – 18:00
ただし、金曜日 10:00 – 20:00 *入館は閉館30分前まで
■休館日:月曜日(8月13日、9月3日は開館)
取材・文/藤田麻希
美術ライター。明治学院大学大学院芸術学専攻修了。『美術手帖』