取材・文/田中昭三

江戸時代、100万人都市の江戸には1000邸近い大名屋敷があり、そのほとんどに大きな池泉庭園が設けられていた。残念ながら、それらはすべてといっていいほど取り壊されてしまった。では、どんな庭があったのか。それを伝えてくれるのが、庭園画である。

たとえば尾張藩下屋敷、通称戸山山荘の一画を描いた「戸山御庭之図」がある。

「戸山御庭之図」より小田原宿。寛政5年(1793)、将軍家斉が戸山山荘を訪れたとき、随行者の成島龍洲(なるしまりゅうしゅう)が描いたスケッチの模本。徳川美術館蔵

尾張藩下屋敷は、いまの早稲田大学一帯にあった。広さは東京ドームの10倍弱。敷地内に大小の池を掘り、その間を水路で結んだ。池を掘った土では高さ44.6mの箱根山が築かれた。これは江戸市中の最高峰であった。徳川11代将軍の家斉(いえなり、在位1787~1837)は、ことのほかこの山荘がお気に入りだったという。

「戸山御庭之図」には、山荘の一画に再現された小田原宿の街並みが描かれている。街道沿いには花屋、紙屋、筆屋、酒屋など37軒の町屋が原寸大で造られ、間口の総延長は207mもあった。藩主がこの街道に足を運んだときには、家臣たちはエキストラとして商人に扮し店番をした。ある者は駕籠かきとなり、お殿様を乗せ遊び興じたという。

山荘全体は消滅したが、箱根山はいまも集合住宅に取り囲まれその高さを誇っている。「戸山御庭之図」は当時の大庭園都市だった江戸の面影をいまに伝える貴重な作品である。

*  *  *

そんな庭園画についての本格的な展覧会『美しき庭園画の世界』展が、いま静岡県立美術館でが開かれている(~2017年12月10日まで)。

もともと15世紀以降、中国の明・清国で盛んに描かれるようになった。その中心地は、中国屈指の庭園都市・蘇州である。日本では17世紀の江戸時代に入ってから庭園画というジャンルが成立した。

「桃李園図」。作者の仇英(1494頃~1552頃)は明時代の画家。古代の有名な庭園である桃李園を描いたもの。満開の桜の下で4人の人物が詩会を催している。重文、知恩院蔵

本展では、まず日本の庭園画に深い影響を与えた中国の作品を取り上げ、続いて日本国内でどのように発展したのかを全78点の作品で紹介している。最近の研究成果が盛り込まれており、日本美術の新しい側面を知ることができる。

美術ファンとしては意表をつかれた感のある画期的な展覧会であるが、一方、庭好きの立場からすると、ふたつの楽しみ方がある。ひとつは先の「戸山御庭之図」のように、庭園画を通して過去に消滅した庭を知ること。もうひとつは、いまも鑑賞できる庭がどのように描かれているかを知る楽しみである。

かつて存在した江戸の名園たちの姿を眺めに、足を運んでみてはいかがだろうか。

【開催概要】
『美しき庭園画の世界‐江戸絵画にみる現実の理想郷』
■会場:静岡県立美術館
■会期:開催中~12月10日(日)まで。
■電話:054・263・5755
■時間:10時~17時30分(入室は17時まで)
■休館日:月曜
■入館料:800円

取材・文/田中昭三
京都大学文学部卒。編集者を経てフリーに。日本の伝統文化の取材・執筆にあたる。『サライの「日本庭園」完全ガイド』(小学館)、『入江泰吉と歩く大和路仏像巡礼』(ウエッジ)、『江戸東京の庭園散歩』(JTBパブリッシング)ほか。

 

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