教育熱心な母親の影響もあり、成績は常に優秀
父親が母親に対して頭が上がらなかった理由は他にもあったと真弓さんは語ります。
「父は最初は技術職で働いていたんですが、小学生くらいの時から仕事を転々とするようになっていったんです。母がパートに行くことになったのも、実は父の稼ぎが不安定だったから。そのぐらいの時から、週末の度に外食に連れて行ってもらって、帰りにおもちゃを買ってもらえていた機会がなくなりました。今振り返ると、毎週末なんて贅沢だと思いますが、私にとって週末の外食は唯一のご褒美タイムだったから」
真弓さんが唯一の楽しみだったと語る週末の裏には、平日の勉強&習い事で埋め尽くされた時間があったから。
「母は教育ママで、習字、スイミング、お絵かき、英会話塾、ピアノの習い事をさせられていました。私が習いたいと言ったのはピアノだけで、他は全部母親に勧められたもの。すべて小学生から習っていたので、放課後は友人と遊べる時間なんて一切なくて、1日に2つの習い事を掛け持ちしている日さえありました。母は礼儀、挨拶などにも厳しかったですが、一番厳しかったのは勉強でしたね」
その勉強に関連したものでも、両親の正反対の性格がわかるエピソードがあるそう。
「母は学校の成績が悪かったら、叩くこともあったし、酷い時は家の外に締め出されていました。成績が悪いといっても、私は勉強ができるほうで平均よりはずっと上。でも、母の満足いくレベルじゃなかったら、問答無用で家から出されていました。出された後は、家の外でじっとして、ずっと父親の帰りを待つようになっていきました。父は私の姿を見つけると『一緒に謝ってあげるから』と優しい言葉をかけながら家に入れてくれるんです。何度か続くと、追い出されたら父親を待てばいいと、まったく平気になってしまったんですけどね(苦笑)」
教育熱心な母親の影響もあり、真弓さんの成績は上位をキープ。高校は都内有数の進学校に合格します。合格がわかった時の母親の言葉を真弓さんはずっと覚えていると言います。
「高校に受かった時は両親とも、とても喜んでくれました。私自身も努力が実って嬉しかったし、自信にもなりました。その時に母が『私の育て方は間違っていなかった』って言ったのをずっと覚えているんです。
でも、当時私は、塾の先生のおかげだと思っていました。小学校高学年から個人塾にも通っていて、勉強の楽しさを教えてくれたのは塾の先生だったから。なぜ母が勝ち誇っているのか不思議に見えたから、今も覚えているのかもしれませんね」
大学受験では母親とのバトルを経験。しかし社会人になり、マタハラを受けた時、投げ出さずに仕事を最後までやり遂げられたのは、母親からの刷り込まれた教えでした。【~その2~に続きます。】
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。