取材・文/ふじのあやこ

家族との関係を娘目線で振り返る本連載。幼少期、思春期を経て、親に感じていた気持ちを探ります。(~その1~はコチラ)

今回お話を伺ったのは、静岡県で3人の子供を育てながら、専門職の仕事を続ける兼業主婦の真弓さん(仮名・35歳)。東京の23区内の出身で、両親と3つ下に妹のいる4人家族。両親の年齢差は8歳と、父親が年上ながら家庭を牛耳っていたのは常に勝気な母親。優しい父親と、教育熱心な母親の元で育ち、勉強が常にできた真弓さんは、都内有数の進学校に入ります。

「母親は少しでも自分の意向に沿わないことをすると、問答無用で叩いてきたり、家から追い出したりする人。一方の父親はとにかく優しくて、怒った姿はまったく思い出せません。父は私があまりに怒られていると、私を庇って一緒に謝ってくれたこともありました。数々の習い事のおかげもあって、進学校に受かることができました。受かった時に母親が『育て方は間違っていなかった』と言ったことがずっと頭に残っているんです」

大学の進路で母親との初バトル!努力の甲斐もあり、希望を通すことができた

高校でも成績優秀をキープして、母親からの期待はさらに上昇。しかし、小さい頃から始めたお絵かきの習い事の影響もあり、真弓さんは美大への進学を希望するようになったそうですが……。

「母親はもちろん大反対!美大なんて冗談じゃないって、有名大学へ進学するのが当たり前みたいな感じでしたね。それにその頃にはうちの家計はかなり傾いていて、美大の学費を払える感じでもなかったから、なぜより多くのお金をかけてまで美大なんかに、という気持ちも母にはあったんだと思います。

今までそこまで母親に歯向かったことのなかった私ですが、どうしても美大に進みたくて母親とは揉めに揉めました。父親はお金のこともあったからどちらの味方にもつけない状態で。結果、私の思いをかなえてくれたのは、母方の祖父でした。祖父は小さい頃から私の絵の才能を認めてくれていて、お金は出すからと両親に一生懸命お願いしてくれたんです。祖父が頭を下げてくれたことで受験だけはしてもいいということになりました。私はすぐにアルバイトを始めて、そのお金をすべて絵のレッスン代に充てて猛勉強を始めました。そして、無事合格することができたんです」

受かったことで母親は折れ、美大生として4年間を過ごせることに。そして大学卒業後は、アパレルのテキスタイルデザイナーとして働き始めます。しかしここでもある騒動があったとか。

「入社が決まった時は家族全員が喜んでくれましたよ。もう勉強じゃないから、母親もそこまでうるさいこともなくなりましたし。でも、せっかく入社できた会社は、3年後に倒産してしまって……。私は会社の上司の提案で潰れる数か月前に退職していたので、倒産の憂き目には直接合ってないんですが、やっぱり少しショックでしたね。でも、結果的には仕事を自主退職したことになったのに、母親からまったく咎められませんでした。何か言われるとずっと構えていたんですが、どうやら会社のこと自体を認めていなかったみたいで、よかったと言っていました(苦笑)」

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