勉強ができた私と、まったくできなかった弟。弟を教える役目を背負わされ、成績が悪いと怒られるのは私だった
華弥子さんの勉強の出来は上の下。特に塾などに行かなくても成績は優秀だったそうですが、一方弟は落ちこぼれていたとか。何度教えても理解してくれず、そのことで母親から怒られたこともあったと言います。
「私はそこまで勉強をしたこともないし、親からうるさく言われた記憶もありません。いつも普通よりはできたので、勉強についてそこまで苦手意識もなくて。塾なども行っていなかったし、強要されたことがなかったからでしょうか。でも、弟は本当にサッパリできなくて。両親ともそれなりに勉強はできたと聞いていたので、誰に似たのか、小学校の分数や小数点からつまずいていました。
私が高校に進学した後は、母親から頼まれて弟の勉強を見ていたんです。家庭教師のつもりで少しお小遣いをもらっていたこともあり、成績が悪いと弟じゃなく私が母親から怒られることもありました。数か月で私のほうからやめたいとお願いして、その後ちゃんとした家庭教師に見てもらっていましたね」
華弥子さんが話す両親の話にはいつも弟が登場しています。実際弟との仲はどうだったのでしょうか。
「不仲ということはありませんでした。ケンカ相手というより、子供みたいな感情ですよ。でも、小さい頃から祖母が面倒を見に来てくれていたので、私が弟の面倒を見ることはあまりありませんでした。8歳も歳が離れた子と何を話していたのか、覚えていなんですよね」
高校では反抗期に入り、家族との会話はほぼない状態に。母親と電話でよくケンカをしていたことを覚えていると語ります。
「高校生の時にPHSや携帯が登場し始め、私も持っていました。その前はポケベルで、母親はメッセージをうまく打てなかったから一度外出してしまったら私と連絡を取ることができなくなっていたんですが、携帯はそうはいきません。何の連絡もなしに帰りが遅くなるといつもよく電話がかかってきていました。そこで大概は言い合いになって、側で聞いていた友人から『母親と仲が悪すぎる』と指摘されていたことを覚えています。当時は言葉を交わすだけでもイライラしちゃっていましたね。
でも、不仲は大学の時に一度落ち着いて、離れて暮らすようになって、仲良くなった時もありました。そして30歳を超えて、再び実家で過ごす時期があったんですが、その時には親との距離感がまったくわからないようになっていました」
就職を機に一人暮らしを開始。その後結婚を前提とした男性と一緒に暮らし始めますが、うまくいかず破局してしまいます。そして、再度実家で暮らし始めるものの、干渉してくる親に辛くあたってしまい、罪悪感に襲われる毎日で……。
【~その2~に続きます。】
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。