取材・文/ふじのあやこ
近いようでどこか遠い、娘と家族との距離感。小さい頃から一緒に過ごす中で、娘たちは親に対してどのような感情を持ち、接していたのか。本連載では娘目線で家族の時間を振り返ってもらい、関係性の変化を探っていきます。
「金銭的には絶対苦しい時期もあったと思うんです。でも両親はその姿を一切私には見せず、アルバイトさえさせてくれませんでした」と語るのは、沙織さん(仮名・38歳)。彼女は現在、都内の病院で歯科医として働いています。鎖骨まである長い髪は毛先がふんわりと巻かれており、笑顔からは白く整った歯をのぞかせています。話し方は柔らかく、丁寧にゆっくり受け答えしてくれる姿は育ちの良さを感じさせます。
心配性の母親はいつでもどこに行くのも一緒。それが普通だった
沙織さんは神奈川県の横浜市出身で、両親と2歳上に兄のいる4人家族。父親は銀行員、母親は専業主婦で、父方の祖父母と同居していたと言います。
「母親も若い頃は父親と同じ銀行に勤めており、2人は元同僚だったそうです。祖父母とは2人が亡くなるまで一緒に住んでいました。家族仲も良かったし、そこまで躾に厳しくもなかったです。それによく勘違いされることが多いんですが、医者一家ではないし、そこまで裕福でもありません。それに両親ともに勉強を強要されることは全くなかったです。どちらかというと成績は悪いほうでしたから」
躾は厳しくなかったものの母親は少し過保護だったと、沙織さんは当時のあるエピソードを教えてくれました。
「過保護というか、とにかく心配性で、小さい頃から友人と出かける時は場所を言わないといけなかった。そしてその場所が母親の中で少しでも心配要素があるとダメだと言われたり、その場所に一緒に付いてくることもありました。さらには私が中学生の時に関西で大きな震災があったことで、横浜から東京ぐらいの距離でも、今は危ないからと注意されていました。中学、高校になっても心配性は続き、少しの遠出はいつも母親と一緒でしたね。それに心配性は母親だけではなく祖母も。大学の入学式は2人して付いてきましたから。でも当時はそれが普通だと思っていたので違和感はありませんでした」
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