怒りをぶつけてくる父に、それを庇ってくれない母。子供から見て、上下関係ができているようだった
両親は躾についてはそこまで厳しいことはなく、成績についても見せなければいけないものではなかったそう。しかし、急に確認してくることもあったそうで、テストで悪い点を取った時などはビクビクする癖がついたと言います。
「本当に気分でものを言うような人で、基本は子供たちにそこまで興味なかったんだと思います。躾に関しても父親はまったくでしたから。でも、内容までは覚えていないけどクイズ番組などを見た後に、急に通信簿やテストなど成績の確認をする時があって。もう2学期も半ばの頃に1学期の成績について怒られている時は本当にうんざりしていました。私の学校では、テストの成績が一覧になった用紙が配られていて、それを母親に渡していたんです。その用紙を母親が丁寧にファイルしていて、それを怒りたい気分の父親が過去の分まで掘り下げて怒りをぶつけてくる。一度いい成績を取った時があって、父親に自ら成績を見せたことがあったんですが……、その時は『後にしなさい』と取り合ってもくれませんでした。私が父のことを気分屋と思ったのはこういう場面が何度もあったからなんです」
同時に、一度も庇ってくれない母親に対しても不満が募っていきます。
「私は友人の両親の様子などを詳しく見ていなかったから当時はそこまで違和感はなかったんですが、今振り返るとあの頃の両親にはあからさまな上下関係がありました。例えていうなら上司と部下のよう。夫婦ってこんな関係性なのかな、同級生の男の子も大人になるとこんな風になってしまうのかなって。小さい頃は父親に手を出されることもしばしば。そんな時でも母親は父親の側にいて、私を庇うことも、慰めてくれることもなかった。同じ女性だからなのか、こんな大人になりたくないと、母親に対して強く思ったことを覚えています」
そんな家族の関係性の亀裂が浮き彫りになったのは父親の入院から。幸い命に関わるものではなく、桃子さんは一度もお見舞いに行かなかったそう。
「都内で一人暮らしを始めた大学生の時でした。父は手術をして、たしか1か月も入院していなかったんじゃないかな。病気自体も末期まで進行していると命に関わってくるものでしたが、父親は手術でなんとかなる程度だった。母親も、当時はすでに結婚して子供がいた姉も父のお見舞いに行っていましたが、私は母親に頼まれても一度も行きませんでした。高校生の時に反抗期があって、それがズルズルと延長して、母親とも『元気ですか?』みたいな定型文のようなメールのやりとりをするだけの時期でしたから」
病気もあり、年齢を重ねて丸くなっていく父親。しかし、過去の記憶が邪魔になり歩みよることができない。しかし、子供を身籠った時、父が彼氏にした謝罪からある気持ちが見えてきました。
【~その2~に続きます。】
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。